ロータリークラブ(国際ロータリー第2760地区 ROTARY International District 2760)

地区委員会活動報告

被災高校生支援委員会

被災高校生支援委員会活動報告

被災高校生支援委員会 委員長 本多 満2760monthlyletter_201509-9-1.jpg

奨学生がスポーツの分野で活躍しています

 日頃は被災高校生支援事業に、ロータリアンの皆様には、御理解、御協力を賜り心より感謝申し上げます。当委員会の事業の一つ、奨学金支援事業は、本年8月末に第6回(最終回)の送金をもって終了となります。また、心の交流事業は奨学生が来年3月に高校を卒業するまで、継続して行われます。
 さて、奨学生のうち2名の方がスポーツの分野で活躍していることが、テレビ、新聞等で報道されていますので、皆様に報告させていただきます。千田京平君(花巻東高校野球部所属)は、2015年の高校野球、岩手県大会で優勝し、夏の甲子園での全国大会に出場を決めました。報道によると3番レフトとして、中心選手として活躍しました。
 また、情報が少し古いのですが、田代優仁君(盛岡四高陸上部所属)は、2014年10月日本ジュニア・ユース選手権(名古屋瑞穂競技場で開催)の110m障害で優勝(タイム13秒84岩手県新記録)しました。他にもインター杯、文化系クラブで活躍している方もいます。2760地区のロータリークラブが被災高校生支援事業で支援している奨学生が伸び伸びと活躍している姿を、皆様に報告させていただきます。
 奨学生の卒業まで、残り7ヵ月余りとなりましたが、最後まで本事業をしっかりと進めてまいりますので、引き続き御支援をお願いします。


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【写真=打撃練習に励む花巻東高硬式野球部の千田京平君。亡母と約束した甲子園出場に情熱を燃やす=花巻市・花巻東高グラウンド】

「3番ファースト、千田君」-。球場に響くアナウンス、スタンドの大声援が誇らしい。天国の母は聞いているだろうか。
 花巻市の花巻東高硬式野球部の千田京平君(2年)は生後すぐに父宰平(さいへい)さんが急逝し、女手一つで育ててくれた母博美さんは東日本大震災で亡くなった。
 当時は陸前高田市の一中1年生で卒業式の練習中だった。生徒約100人が親の迎えを待ち教室で夜を明かしたが、朝には自分一人だった。目を閉じれば、母の生存を信じてがれきの街をあてもなく歩いた日々が思い浮かぶ。食品加工会社で働いた母が苦労して新築した自宅は全壊。一人で4時間近く避難所を捜し回った。
 高田高を卒業したばかりで、大船渡市内で被災した兄晃平さん(21)とは1週間後に再会できたが、「諦めと諦められない思い」で待ち続けた母は数カ月後、遺体で見つかった。「不安がずっと続くこともつらかった。区切りをつけて頑張るしかない。自分でも思い出さないようにしていた」と明かした。
 震災後は大船渡市内の親類宅に身を寄せ、高校進学は迷った末に花巻東高の寮生活を選んだ。決断の背景には2009年に菊池雄星投手を擁したチームの鮮烈な記憶があった。「甲子園のテレビ中継を見ていて、母が『甲子園に出たら応援に行きたい』と話していたのを思い出したんです。亡くなったけれど、連れていってあげたい。母との約束です」と力強く語った。
 一般入試で飛び込んだ野球部。授業が終わると、部活と自主練習が夜遅くまで続き、野球日誌や洗濯を済ませて午前0時すぎに寝る生活だ。「朝練習もあり午前5時半起床。思った以上にきついが、好きな野球に集中できる環境がありがたい。ここで頑張らなければ、支えてくれた方々に申し訳ない。裏切るわけにはいかない」と話す。
 入学当初は佐々木洋監督に「父親だと思って生活で困ったら相談しろ。でもグラウンドに来たら特別扱いしないぞ。ついて来れるか」と心配されたが、打撃力で頭角を現し1年秋からベンチ入り。被災者と言われたくないという反骨心と覚悟でチームに欠かせない選手に成長した。指揮官は「複雑な思いを抱えて一般入学した選手が今や3番打者。まさに全力で今を生きている」と感心する。
 震災から3年7カ月-。被災者対象の奨学金制度などで金銭的な不安を感じることなく生活はできている。「仲間に恵まれ、監督やスタッフも親身になってくれて本当にありがたい。もう寂しさはない」とはにかんだ。
 全てを忘れて白球を追う。今はそれだけで幸せだ。母は見ているだろうか。甲子園での「再会」を信じる16歳は決して諦めない。
(花巻支局・村上弘明)

4年後の自分へ
大学に進み20歳の成人式を迎えていたい。
震災後にいろいろ助けてもらった方々に立派な姿で成人のあいさつをして恩返しをしていく。大学でも野球を続けようと考えているが、将来の夢は消防士か、花巻東高のトレーナーになること。どちらも誰かを支える仕事で、この夢を貫きたい。今からしっかり決めておかないと目標は達成できない。どこかで変えてしまうことは考えていないし、夢に向かってコツコツ準備を進めていきたい。


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第97回全国高校野球選手権大会岩手大会決勝(24日、花巻東9-8一関学院=延長十三回、県営野球場)花巻東が延長十三回の末、9-8で一関学院を振り切り、2年ぶり8度目の夏の甲子園切符をつかんだ。試合は約3時間半に及び、両チーム合わせて34本のヒットが飛び交う熱戦だった。
 「お母さん、行ってくるよ」。写真の母はいつもと同じ笑顔を浮かべていた。花巻東・千田京平外野手は陸前高田市の第一中学1年のときに東日本大震災が起きた。食品加工会社で働いていた母、博美さんは数カ月後、遺体で見つかった 。生まれてすぐに急逝した父に代わり、女手一つで育ててくれたかけがえのない母だった。
 震災後は大船渡市内の親類宅に身を寄せ、岐路を迎える。高校進学で迷ったときに思いだしたのはやはり母だった。かつて母は「甲子園に応援に行きたい」と話していた。母の願いをかなえるため、強豪の花巻東を選び、一般入学で野球部の門をたたいた。特待生らに混じり、レギュラーの座をつかもうと必死で得意の打撃を磨いた。練習は嘘をつかなかった。決勝で放った3安打はいずれも、狙いすました流し打ち。右方向に鋭い打球が飛んだ。
 一関学院の野々村力外野手は同じ中学のチームメート。試合終了のあいさつのあと、「がんばれよ」と声をかけられた。もう一つ被災地の思いを背負った。
 「きっと母も見守っていてくれたと思う。母さん、約束通り、連れて行くよ」
 少年は静かに空を見上げた。
(産経新聞 高木克聡)


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【名古屋市で運動部・久慈陽太郎】陸上の日本ジュニア・ユース選手権第1日は3日、名古屋市瑞穂陸上競技 場で行われ、男子ユース110メートル障害で田代優仁(まさひと)(盛岡四高2年)がジュニアハードル県高校新の13秒84をマークし優勝した。男子ユース400メートルの佐々木愛斗(まなと)(盛岡南高2年)は47秒90で2位に入った。田代は予選2組でジュニアハードル県高校記録を更新する14秒02をマークし、1位で突破。決勝でさらにタイムを縮めた。女子ジュニア100メートル障害の荒川沙絵(筑波大1年、盛岡一高)は準決勝で敗退した。
ジュニアは主に高校1年から大学1年、ユースは主に高校1、2年が対象。


【写真=男子ユース110メートル障害決勝
スタートから勢いに乗り、ジュニアハードル県高校新の13秒84で優勝した田代優仁(盛岡四高)=名古屋市瑞穂陸上競技場】

スタート決め勢い 田代
 「よっしゃー」。男子ユース110メートル障害の田代優仁(盛岡四高2年)は電光掲示板で優勝を確認すると、会場にひときわ響く大声で歓喜した。
 予選からジュニアハードルの県高校記録を塗り替える走りで絶好調。肌寒いことを考慮し、大きく速く動いて体を温めることを心掛けた。
 2位だった昨年の東京国体で敗れたライバル金井直(神奈川・橘高2年)は調子を崩し予選敗退。「今度は自分が勝つしかない」と闘志を熱く燃やした。
 前回進めなかった決勝の舞台。涙をのんだ悔しさを晴らすと決意していた。「最初から速度に乗らないと勝負できない」。一番重視しているスタートダッシュを成功させ勢いに乗った。スピードを落とすことなく一気に駆け抜け、叫びながら全力でゴールへ飛び込んだ。表彰式では「お世話になった人や周りの仲間に感謝したい」と誇らしげに金メダルを高く掲げた。
 千葉信彦監督は「やり過ぎと思うほどの練習をコンディションを崩さずに積んでいる。これを結び付けることができた結果」と努力を惜しまなかった、まな弟子の栄光をたたえた。
 5日は400メートル障害に挑む。「気持ちを入れ替え、ベストを尽くすことだけを考えて走りたい 」。慢心なく自分自身に向き合う16歳はさらなる飛躍を期す。
(久慈)