【講演】陶都であり続ける覚悟 (瀬戸ロータリークラブ)
瀬戸ノベルティ文化保存研究会事務局長
中部大学講師 中村 儀朋様
皆さん今日は。オキュパイドジャパンという占領下の輸出品をご存知ですか?これがあったからこそ戦後復興を果たし、高度成長の足がかりでサンフランシスコ講和条約の発効から60年、日本は独立、洋食器やノベルティの輸出が伸びて瀬戸は最盛期を迎えるようになったのです。
悲鳴をあげている切実な瀬戸の現状
私をよそ者と呼び、批判しますが、瀬戸市役所の職員のうち4割がよそ者で右肩上がりの傾向です。広く人材を登用したいという方針がこの有様で、スタッフの質による、市民の質によるというような生意気な事を私は申し上げます。「街が丸ごと美術館、せとものの瀬戸」というポスターを仕事がなくなったと言う絵付け職人さんから頂きました。しかしこうした瀬戸らしい産業遺産の景色、キャッチフレーズが消えてしまいました。「街中が美術館なんてよく言えるよね」とか、「友達を連れて行く瀬戸らしい所が
無い」という市民や観光客の声は瀬戸の現実です。悲しいことに瀬戸市に寄贈を受けた約千点のノベルティは展示もされずに空いている市営住宅の中にほったらかしにされて眠っているのです。瀬戸蔵などで展示したり、職人が絵付けする仕事を見せる場にしてほしいものです。
まるっとミュージアムとはどういうことか
街中が美術館、博物館、まるっとミュージアムというならば、街中にこそ瀬戸の宝があるんだということ、それが「まるっとミュージアム」のコンセプトであり、箱ものの中に蔵入りさせずに街中に展示する環境づくりをサポートしていくのが市民であり、業界関係者だと思っていますが、実態はその逆を歩んでいます。私たちのグループは志は高く、アドバイザーの須田寛さんはJR東海会長で産業観光の提唱者であり、有名な言葉「観光の光とはその地域、その街にしか無いもの、それを光り輝かせるものである。それをより工夫してわかりやすく演出して見せる、知恵のある方法で、そこにしかない光をあてて見せる、それが観光である」ということを言われてます。
安易に町並みの整備、他の土地での成功体験を持ってきてあてはめたりしても実りの無い結果に終わるもので、むしろ「その土地にしか無いものを自慢をして戦略性をもって展開していくことが「観光」です。まるっとミュージアムもそういう方向でやっておられると思いますが、観光行政、観光協会のあり方は街中から遊離しているように思われ、私たちの目標は「箱物から街中への回帰」です。
私たちの活動と今後の提言について
末広町商店街に「ノベルティ倶楽部」を作って「ノベルティアーケードin末広」開催とか、街中展示を実践しています。またこれは私達の会が監修した2013年のカレンダー「ほほえみの瀬戸ノベルティ」です。2月は今、話題の山国製陶のルイ・イカールでノーマンノックよりも人気が高い作品です。4月は池田丸ヨ製陶、6月はテーケー名古屋人形製陶でオンリーワンの瀬戸ものです。8月はオキュパイド・ジャパン占領下の輸出品でアメリカからの里帰りもの。9月は愛新陶器、10月は光和陶器、11月は愛新さんのノーマンロック、12月は愛龍社のあかりのランプで瀬戸だけのものです。
お手元の資料、これは昭和25年に「これからの瀬戸をどうしたらいいか、やきもの振興をどうするか」という、現市長のお父さんが諮問委員会で60年前に作られた「瀬戸市振興に関する調査報告」です。この中で耳に痛い、島国根性の製造業者とか、互いに値下げ競争しているとか、瀬戸の名声は地に落ちてしまう、安物の代名詞であるせとものを作り続けるという厳しい指摘があります。昭和25年から60年、こうした瀬戸人の悪い気質、こうしたことを私としてはもう一度見直すことが「陶祖800年祭」と並び大事であると思います。瀬戸ノベルティには100年の歴史があり、戦後の瀬戸の歴史的技術を不眠させてはならない、これが私たちの願いです。どうもご清聴、有難うございました。