【講演】オイスカの国際協力(碧南ロータリークラブ)
公益財団法人オイスカ中部日本研修センター職員 筑田夏菜子様
私、先ほどご紹介頂きましたオイスカの中部センターの筑田夏菜子と申します。本日は、オイスカの国際協力の活動の紹介のお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。それでは、さっそくですが、オイスカの活動についてご紹介させて頂きたいと思います。
オイスカはホームを日本におきまして、現在、30の国と地域に組織をもつ、国際NGO です。オイスカは、1961年に設立されまして、全ての人々が様々な違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り、育てようとする世界を目指し、設立されました。2011年に創立50周年を迎えた現在は、アジア太平洋、南南米地域を中心に、農村、地域開発や、環境保全活動に力を入れ、青年が地域のリーダーとなれるように研修を通して、人づくりを行っております。オイスカで学んだ研修生達は、現在地域のリーダーとなって、各国で活動しています。
まず、オイスカが誕生した背景について少し説明したいと思います。
オイスカが誕生する前の、第二次世界大戦が終わり、国民が復興に向け一心不乱に突き進んだ結果、目覚ましい復興を遂げ、高度経済成長を迎えた日本は、物質的にとても豊かになっていきました。その時代の中、オイスカの創設者の中野與之助は、「日本人は物質的には豊かになる事ができたが、その代償として日本人が本来持っていた精神面の豊かさが、見られなくなってきたのではないか」と危惧をしました。中野與之助の呼びかけにより、1961年10月、18カ国から460名の参加による、精神文化国際会議が行われました。常設機関として「精神文化国際機構」ができました。1960年代中頃にアジア各地で、干ばつが継続的に発生しまして、何十万人もの餓死者がでる事になりました。そこでオイスカはまず、食料を生み出す農業が大切だと考え、農業協力を開始しました。農業に精通した篤農家などを募り、インドを皮切りに、フィリピンやバングラディシュなどに派遣しました。彼らは農村に入り、現地の人々と共に働きながら安定した食料生産と、農業発展を目指して活動しました。現地にモデル農場を開設して、農業の改良復旧に努めました。また活動していく中で、日本人が現地で活動している間だけではなく、現地の人達が自分の食べ物を継続的に作るために、現地の人達が自分達の力だけで作らなければならないという想いを痛感しました。日本人はあくまでアシスタントとして、現地の人々に自助努力の意識を持ってもらう必要性を感じました。現地の人達の自助努力を進めるために、農村の中で農業を教えられる青年リーダーの育成に力を注ぐ事にしました。1960年代後半、自立した青年リーダーを育成するため、国内外に研修センターを設け、独自の農業活動の中で人づくり活動を始めました。
現在日本には、愛知にあります中部研修センター、西日本研修センター、四国研修センター、関西研修センターがございます。1万人以上の海外からの研修生が卒業しています。また1970年代後半になると、アジアで伐採された木材が日本に大量に輸出されるようになりました。さらに無計画な焼畑農業や過度な伐採により、森林が減少し、そのまま放置される状態になりました。そのため山間部で土壌が流出し、はげ山が増えました。安定した農業生産ができないと各地から報告があがりました。そのため、アジア各地で植林活動が開始される事となりました。1980年、日本国内で苗木1本の国際協力の活動を立上げ、森林減少の危機にある途上国の現状を伝え、全国規模で募金活動を開始しました。また、日本からアジア各地に有志達が出かけて、地域住民と共に植林活動を行う活動が始まり、農業ボランティアに続き、植林ボランティアの活動も始まりました。しかし、現地の人達は植林する意識が全くなく、日当をもらう目的で来ていました。人々の生活は貧困の方が大きく、木を植えなさいと言ってもいくらくれるのかといった答えしかくれませんでした。このままではダメだと思い、子供達に緑の大切さを教える活動を開始しました。それが1991年に始まった子供の森計画です。
フィリピンの17校の学校を対象にスタートしました。また、地域の中心に拠点を置く事で、教師や親などにもコミュニティーが広がるようになりました。現在では4,500を超える国と地域で活動をしており、アジアを越え、南米、アフリカにも広がりをみせています。
現在オイスカでは4つの柱の基に活動を行っています。
1つは人材育成という事で、ふるさとを大切にする人づくりのために、教育活動がかかせません。教育は地域の産業発展に不可欠な要素となります。オイスカが考える教育は、研修や体験を通して学ぶという事です。人が飢える事なく生きられるように、農業技術支援や人材育成により、持続可能な地域育成に力を入れています。人々の生活を守るため、自然の再生、保全がかかせません。人間は地球の一部であり、地球上の命あるものと共存していく事が大切です。全ての生命と調和した生活を目指しています。子供の森計画についてですが、コミュニティーの将来を担っている子供達を対象としました。
場所はコミュニティーの中心にある学校、その校庭、周辺の森林などです。子供達は実際に植林をして管理も行い、ただ緑化をするわけではなく、子供達の環境教育を重要視しています。
こういった活動を支えているのが、オイスカの国内外で研修をしたOBです。20年を迎えた現在では、子供達が植えた木が育ち、森林となっています。現在参加しているのは29の国と地域で、参加学校は4,534校にのぼっています。主な活動としては、植林活動、苗木の育成、植物の育て方を体験し自分たちの木に愛着を持てるように育てます。また、多くの途上国でゴミの分別をしておらず、子供達にゴミの分別の必要性、ゴミからリサイクルできる事を教えています。
海外の活動では、農村開発という事でフィリピンのネグロス島では、養蚕プロジェクトを行っております。砂糖の価格暴落によって飢餓の島と言われたネグロス島で、日本の養蚕技術を伝えて養蚕の普及を進めています。また、中国の内モンゴルでは環境保全及び農村開発の活動として、砂漠化防止プロジェクトを行っています。砂漠化が急激に進む自治区アラシャンでは、8,000kmのグリーンベルト作りを目指して活動しています。また、フィジーではリゾートホテルの開発などで水質汚染が広がり、珊瑚の白化が進んでいます。漁業の捕獲量も減ってきている現状があります。オイスカでは、珊瑚の増殖や移植というプロジェクトも進めています。国内の活動では富士山の森づくりを2007年から活動をしております。100ヘクタールの土地を借りて5種類の広葉樹の苗木を飢えています。現在でのべ4,000人の方に参加して頂いています。植林の総面積は40ヘクタールになります。37,000本の苗木を植える事ができました。5年目の2011年で植林は終了しました。2012年からは、植えた苗木の管理・保全を行っております。2011年の東日本大震災で海岸林が無くなり、改めて海岸林の重要性が分かりました。宮城県の名取市で、100ヘクタールの土地で10年計画で黒松の植林計画を進めています。その際タイで募金活動があり、80万円も集まりました。2011年、タイでも大洪水があり、日本からも100万円以上の募金が送られました。こういった形で、草の根レベルの活動の積み重ねがこうした心の交流に繋がり、緊急時に国を越えて助け合う絆を生んでいる事を、改めて気づかされました。
私が在籍しておりますオイスカの研修センターを紹介しますと、1967年に岡崎の研修センターから始まり、現在豊田市にありまして、23年こちらで活動を行っております。受け入れの研修生は約30カ国、500人以上にのぼります。自然有機栽培による畑作、稲作などの実践を通して研修生達が学んでおります。