【講演】障害児の雇用支援(豊橋北ロータリークラブ)
社会福祉法人童里夢 理事長 大森妙子氏
こんにちは。大森と申します。
私が所属しております「社会福祉法人 童里夢」、童が里で夢を見るという文字です。こちらの童里夢では、障害のある方たちが地域の中でより良い生活が実現出来るように、そのお手伝いをするということで、いろいろな福祉サービスを提供させていただいています。
私が障害者福祉に携わるようになって、早いもので22 年が経ちました。始めた頃はまだ30 代半ばで元気ハツラツとしておりましたが、最近では体力も落ちて参りました。それでも、まだまだやるべき事が沢山ありますので、もう少し頑張っていきたいと思っております。
先程のご紹介にもありましたように、私にはダウン症の障害を持った33 歳になる息子がおります。福祉に私が携わるチャンスを作ってくれたのが息子です。息子と巡り合ったことによってチャンスをいただきました。
今でこそ「チャンスをありがとう」「我が家に貴方が産まれて来てくれてありがとう」と声を大にして言えますが、最初にドクターに「おたくの子は知恵遅れの子どもさんです」と宣告された時には、お先真っ暗という感じでした。この先どうやって生きていこうかと、悲観的な生活を5~6 年続けておりました。私に限らず、障害児を授かったご家庭は1 度はそんな気持ちを体験されるのではないかと思います。
そのような生活を送っていたのですが、ある時、同年代の障害の無い子どもさんと、障害のある我が子をどうしても比べてしまい、比べると障害があるので成長がゆっくりだということから、その度に悲観的になってしまうのだということに気づきました。そこで、それを一切やめようと誓いました。そして、人と比べるのではなく、障害のある子どもが、どんな生き方をしているのかということを、客観的に見てみようと思いました。
何日もかけて、客観的に、その子の良いところ、悪いところを全部見てみました。そうすると、本当に必死で生きている、一生懸命に生きているというのを、1 日の暮らしの中の全てから感じました。何事も遅かったり、できなかったりと、結果は良くないことも多いですが、その経過は本当に一生懸命です。息子だけではなく、他の障害を持ったお子さんも同様です。いろいろな行動がハチャメチャではあるのですが、その一生懸命さはやはり私の心を打ちました。
障害があると理解力が低いこともあります。自分の言葉で表現することも難しいです。体を動かそうと思っても思ったように動かない時もあります。この様に大変な不便さがあります。
その不便さの中での一生懸命さが、私にとってはたまらない魅力になっていきました。本当に素晴らしい人たちだな、障害がある子たちは凄いなと、尊敬するようにもなりました。
そして私は、障害のある方が人生の最期を迎える時に、「自分は障害を持って産まれたけど、まずまず面白い人生だったよ」と一人でも多く言えるようになれば良いな、その為に自分がやれることがあるのならば惜しみなくやりたいと、思うようになっていきました。
その当時、豊橋市には障害者の働く場が無いという状況でした。そのような施設があるにはあるのですが、既にどこも定員一杯でした。そんな時に、私の他にも同じように、障害者の為に何かやりたいと思っているお母さん方が大勢おられましたので、その方たちと力を合わせて何とかしようということになりました。障害者の学校制度は随分整ってきており、養護学校も整備されて高等部まで進学できるようになっていましたが、そこを卒業した後、障害者が働く場所が無かったので、無いのなら造ってしまえば良いのではないかという感じで、活動を始めることになりました。
最初は何をしたら良いのかも分かりませんでしたが、その為の勉強を進めていくうちに、お金がかかるということも分かってきました。それでも、小さくても見てくれが良くなくても構わないので、とにかく造ることにしました。
平成7 年、無認可の施設を立ち上げました。定員10 名くらいの小さな施設でしたが、小さいが故に毎日毎日自由にいろいろなことができました。無認可の施設でしたのでなおのこと、いろいろなプログラムを自由に行って、本当に楽しい毎日を過ごしておりました。ただ、無認可=国から認められていない施設ですので、事業の安定がうまくいきません。事業を拡大する時に国の制度が全く使えないので、全てが自己負担ということになってしまいます。過ごし易かった無認可の施設でしたが、平成13 年に法人化することになり現在に至っています。
次に童里夢が行っている事業について説明します。
まず「就労生活支援センター 童里夢」。正しく働くことの支援をしている部署です。大きく分けると3 つの部門に分かれています。
1 つ目が、比較的障害が重い方たちが、ゆるやかにゆっくりと働けるようになっている部門です。午後からは体力トレーニングやクラブ活動も行うといった、その様なプログラムが設定されています。
2 つ目はしっかり働くことを目的とした「Pan-Kan」部門になります。
3 つ目は、施設で働くのでは無く、社会に出て一般就労をしてしっかりと働くことを目的とした部門です。
以上の3 つの分類に沿って、就労支援をしております。
1 つ目のゆっくり働こうという部門ですが、その中で更に3 つに分かれています。障害のある方たちは、本当にお一人ずつ障害程度も違いますし、産まれ育った環境も違います。私たちの性格が様々であるのと同じです。障害程度に合わせつつ、いろいろな作業をやって頂くようになっています。①天然酵母のパンの製造販売 ②レストランでのランチや、お弁当・惣菜の販売 ③雑貨班 この3 つです。
雑貨班には、本当に障害の重い方たちが24 名所属しています。ここでは、木工作業・農作業・タマゴの配達・さをり織りなどの作業を行っています。障害が重いと作業能力についても臨機応変という訳にはいきません。極力一人一人の能力に合わせていくようになりますので、作業種目を増やす必要がありました。
割り箸の袋詰めや、ダンボールの組み立てなどの作業が設定されています。24 名のうち23 名は、いずれかの作業で何とか日中過ごすことができますが、もう1 名はまだ合った仕事がない状況で自由班のような形になってしまっています。それが現在の課題で、その方に何を設定したら良いのか、悩んでいる最中です。雑貨班の人たちは午前中は仕事、午後からは絵画教室や音楽教室や編み物、スポーツなどのレクリエーションをして一日生活をしております。
2 つ目のしっかり働こう「Pan-Kan」部門では、缶の中にパンが2 つ入っていて賞味期限5 年という、非常食にもなるパン缶を製造しております。この仕事を見つけるのに3 年くらいかかりましたが、始まってみると、最初から最後まで全工程に皆が関わることができる本当に良い仕事でした。3 種類のパン缶のうち、1 日に1 種類しか作らないようになっているので、煩雑では無く、ひたすら同じ作業を1 日7~8 回繰り返すという、障害のある方たちに適した仕事です。その様な仕事に巡り合うことができて良かったと思っております。
最初は賞味期限3 年のものを販売していたのですが、非常食で賞味期限が3 年では、ほとんど需要がありませんでした。1 年後に賞味期限5 年に改良することができ、そこから大変需要が増えました。また東日本大震災以降、企業や自治体、そして個人の方々の防災意識が大きく変わったこともあり、昨年度は寝る暇も無く作るような状況でした。障害のある方たちも、早番や残業を行い、とても充実した日々を送らせていただきました。
また、作った商品が被災地への支援物資になったり、あるいは企業の備蓄品になったりと、障害のある方たちが社会に貢献できたという点でも、大変な充実感がありました。
とはいえ、福祉施設が「障害のある方たちのパン缶工場」になってはいけないのではないかと思います。どういう意味かと言うと、本当に忙しくなるとスタッフがパンを作ることに一生懸命にならざるを得なくなります。そしてほとんどの時間が、「障害者の支援」ではなく、「パン製造」の為に使われることになってしまいます。これでは本末転倒ではないかということで、昨年度末に反省し、今年度は障害者の方達の支援も程よく行い、お客様のニーズにも程よくお応えするという方針にしました。
それには一か月に15,000 缶が適当な仕事量だろうということになりましたので、そのように調整しながら今はやらせていただいております。スタッフも調子が良く、障害のある方たちもコンスタントに安定した労働が出来ている状況ですので、現在の状態がちょうど良いのではないかと思っております。
次に3 つ目の、童里夢の中で働くのではなく、一般就労を目指す部門についてお話しします。これにつきましても本当に企業さんのお陰で、昨年度は5 人の障害のある方たちが、お弁当屋さん、給食センター、それからある会社の清掃員として就労させていただき、現在も頑張って仕事を続けています。実を言うと、スターバックスさんでも使って下さっています。本人の頑張り、それからスタッフの頑張り、そして地域の皆様のお陰で、本当にとても良い経験をさせていただきました。
一般就労したら私たちの支援が終わるかというとそうでは無く、仕事を継続できるように今も見守っております。現在、一般就労を目指そうというふうに思っている方が、Pan-Kan センターにも1 名いますので、時期を見て実習などもやっていけたらと思っております。
現在の問題点としましては、障害者の状況が徐々に重度化しているということがあります。一般就労を目指す一方で、障害の重い方たちを福祉サービスとして受け入れていかなければならないという課題があります。障害が重いと支援する側の専門性も求められますので、私たちの支援のスキルを上げる努力も必要だと考えているところです。
以上のような働くことへの支援の他に、2 つのサービスを提供しています。
1 つは「共同生活支援 ぱぁとなぁ」です。親元を離れて仲間との共同生活をしたいという障害者の方たちの支援をしています。一軒家の借家を借りたり、あるいは県営住宅をお借りしたりして、家賃を含めた生活費は障害者の方たちが自分で払い、支援するスタッフの給料は国から援助を受ける、その様なシステムになっています。そこではきちんとした食事を提供し、掃除や洗濯の指導をしつつ、極力自分で食事などのあと片付けができるようにという形で支援を行っています。
それ以外に重要なのが悩みごと相談です。「自分はこれから、こうしていきたい」といった大きなものから、「次の日曜日にあそこに行きたい」というようなものまで、いろいろありますが、とりあえず全てを聞く様にします。その上で、できること・できないことを区分けしています。「我慢すること」もとても大事ですので、できることと我慢することを、きちんと区分けする、そのような支援をしております。
1 つの拠点で障害者の方たち3~4 人が共同生活をしているというパターンが多いです。現在、童里夢で働いている44 名のうち14 名が親元を離れて共同生活をしています。
もう1 つのサービスが「地域生活支援センター すたぁと」です。分かりやすく言えばヘルパー派遣のようなものになります。こちらも借家を一軒借りて、そこでヘルパーさんが現在12~13 人働いています。一人暮らしをしている障害者の方の家事援助や大掃除の時の手伝いなどを行っています。
また、「すたぁと」には居室があり、そこでショートステイの受け入れもしています。1 日当たり4 人位の受け入れが可能です。
例えば、障害者の家族の方が入院してしまった場合など、その間こちらを利用していただいたりしています。また、一人暮らしをする為、あるいは親元を離れて仲間たちと共同生活をする為の、練習のような形で利用されている方も大勢いらっしゃいます。
その他には移動支援というものがあります。「日曜日にどこかへ行きたい」、あるいは「病院に行きたい」などの要望があった時に、ヘルパーさんが付き添うという形になります。その様なサービスも提供させていただいております。
この「ぱぁとなぁ」と「すたぁと」は、労働条件が、時間的なことや金銭的なことも含めて、余り良いとは言えませんので、働く人を探すのが非常に大変です。それでもやはり障害者の方たちからのニーズはとても高いので、今後も頑張って探していこうと思っています。
現段階では以上の3 つのサービスを提供しています。これらのサービスを障害のある方たちに活用してもらいながら、一人でも地域で暮らし続けていけることを実現していきたいと思っています。まだまだ足りないサービスもありますので、今後整備していきたいと思います。後は、本人の意欲です。親が居ようが居まいが、自分の力+サービスを使いながら、「まずまずの人生だったぞ」と言えるように、本人も努力することが大事だと思っております。
続いては、何枚か写真をご紹介したいと思います。
《スライド写真紹介》
最後にPan-Kan の宣伝の為のDVD がありますので、それを見ていただいて終わりにしたいと思います。もしご注文していただけることがありましたら、本日配布しましたパンフレットに書いてあるところにご連絡ください。よろしくお願いいたします。
《DVD 上映》
本日はお招きいただき、なおかつパン缶も購入していただきまして、本当にありがとうございました。以上で終わります。