【講演】遠くて近い国 ブラジル(豊橋北ロータリークラブ)


20121218_toyohashikita_1.JPG豊橋市教育委員会 宮本朋子氏

皆さん、こんにちは。豊橋市教育委員会教育政策課の宮本朋子と申します。本日は国際協力派遣事業を通して、私がブラジルで経験してきたことをお話ししたいと思います。
最初にブラジルについて簡単に紹介します。面積は世界で5 番目に大きく日本の約23倍、東と西とで2 時間の時差があります。日本から見てちょうど地球の反対側にあり、日本との時差は12時間、季節は逆になります。
次に国際協力派遣事業についてご説明します。私はこのプロジェクトを通して、昨年度5 か月間、今年度3 か月間、ブラジルの南部にあるパラナ州内の、クリチバ市、マリンガ市、そして主にパラナヴァイ市で活動してきました。豊橋とパラナ州、パラナヴァイ市とは密接な関係があります。豊橋は日系ブラジル人の数が全国で2 番目に多い都市です。言葉や文化の違いにより生じる問題の中で、外国人児童生徒教育は大きな課題の一つとなっています。公立学校においてブラジル人の円滑な受け入れをする為、2007年よりブラジルから教員1 名を研修員として受け入れています。今年で6年目になり、既に6名の先生方が豊橋で研修を終え、ブラジルに帰国しています。また2008年には、パラナヴァイ市と豊橋市は教育分野において提携を結びました。ブラジルは現在、教育制度の改革を行っており、また、日本から帰国する子ども達が増えてきている問題から、2009年、パラナ州より教育分野の交流要請を受けました。そこで豊橋市は2010年より指導主事をパラナ州に派遣し、今年で3年目になります。本事業において、私が取り組んできた内容は大きく分けて3 つです。
① 国際協力及び教育改善
  ブラジルの教育制度の理解、日本の教育制度の周知等。
② 教育交流の充実
  日本の文化を体験する授業実践、子ども達の作品の交換等。
③ 帰国児童生徒に対する支援活動
  帰国した児童生徒の調査等。
ブラジルの学校制度は大きく分けて4段階あります。0~5歳の就学前教育。6~14歳の初等教育、この9年間が義務教育です。
1~5年生が日本の小学生、6~9年生が中学生に該当します。そして15~18歳の3年間が日本の高等学校にあたりますが、入学試験はなく、全て無償です。希望者は全員通うことができます。
そして18歳以上は大学になります。公立大学は入学試験がありますが授業料は無料です。ブラジルの大学は公立大学の方が私立大学よりレベルが高いです。しかし、高校は私立の方がレベルが高くなっていますので、高い授業料を払っても私立高校に入り、公立大学を目指す家庭が多いように感じました。
現行のブラジルの教育制度が確立したのは1996年です。その当時は義務教育期間が8 年間でしたが、2006年に9年間に拡大され、現在の9・3・4制になりました。
ブラジルの学校は午前、午後の半日学校という二部制、夜間がある場合は三部制をとっていますが、現在では徐々に一日制へと移行しています。パラナ州には州立学校が2,136校ありますが一日制の学校はまだ4校しかありません。完全一日制への移行はまだまだ遠い道のりとなっています。
また、ブラジルでは留年制度があり、出席率75%以上、成績が6割以上ないと留年になります。また留年する子は、留年を繰り返す傾向があり、義務教育課程を終えずに退学してしまう子も多く、問題となっています。
一日制では殆どが、午前に従来の教科学習を行い、午後は活動や補習を行っています。二部制では教科学習しか行っていませんでしたので、それに裁縫や絵画、演劇、空手やカポエイラ、柔道などの活動を取り入れていく取り組みを行っています。このような活動を通して、教科学習だけでは分からなかった子ども達の個性や特長を見出すことができるようになっていました。
更に補習ができることにより、留年する子どもが徐々に減り、基礎学力も向上してきています。また、ブラジルでは麻薬の問題が社会問題にもなっていますが、一日制にすることにより、そのような誘惑に触れる機会から遠ざけることができるという利点もあります。
一方、一日制の問題点もあります。ブラジルでは午前中の教科学習は採用された先生が担当していますが、午後の活動は外部講師や学生が担当しています。それにより午後の授業は、遊びの延長のようなものになってしまっているということが問題視されています。また、好きなことができない、家族と過ごす時間が減るといったことも問題点として挙がっており、一日制への移行に反対する声もあります。
ブラジルの学校の先生は、校長先生、教務担当、生徒指導担当、一般教師という構成になっています。大抵の教員は1 つの学校に1日4時間の週5日間、合計週20時間勤務です。午前と午後、あるいは夜間で勤務する学校が異なる先生が殆どで、他の職業と兼業の先生もいます。また市や州によっても異なりますが、校長先生が選挙で選ばれるということが多いようです。
教員採用試験も日本とは大きく異なり、実施時期は不定期で必要となった時に行われます。希望校に勤務することが可能ですが、教員の空きができた時から成績順で呼ばれていくので、中には2年間呼ばれずに終わってしまうという人もいます。このようなこともあり、現場の先生からは「教員の社会的地位が低い」「尊敬されない」「給料が安い」等の声も多く聞かれました。
このように、一日制への移行や教員の待遇といった面でも、ブラジルでは更なる教育改革が必要だと思われます。
次に帰国児童生徒に対する活動についてお話します。日系ブラジル人の子ども達が直面している問題は深く歴史が関わっています。1990年日本では出入国管理法が改正され、日系ブラジル人就労者の受け入れ、いわゆる「出稼ぎ」が始まりました。
当時は56,000人余りの出稼ぎの方がいました。2007年には約317,000人もの人が日本で働いていました。その後、世界的経済危機や震災の影響で、現在は210,000人まで減少しています。
豊橋で働いていた日系ブラジル人にも、勿論影響がありました。
豊橋市の外国人児童生徒数は2008年当時1,000人近くいたのですが、現在では700人を切っています。
このような状況を踏まえ、豊橋市ではブラジルに帰国した子ども達がどのような生活をしているのかを調査することになりました。私は昨年度と今年度、出稼ぎ経験者である保護者24名と、児童生徒93名の合計117 名の方と面談を行ってきました。
面談した帰国者の出身都道府県を聴いたところ、静岡、長野に続き、一番多かったのが愛知県で、たまたまかも知れませんが、愛知県の中でも豊橋からの帰国者が最多でした。
面談の中で、ブラジル帰国後の生活に適応できたかどうか尋ねたところ、93名の児童生徒中、36名がスムーズに適応できたと答えました。その主な理由としては、保護者が日本滞在中から帰国後の生活を考え対応していたからでした。一方、帰国当初は苦労したが現在は適応できていると答えた子は34名、今もなかなか適応できずに問題を抱えていると答えた子が23名いました。これは全体の半数以上になります。また帰国時の年齢が上がるに連れて、学校生活や言葉になかなか適応できない子どもが多いということも分かりました。これは経済危機や震災の影響により帰国を余儀なくされ、日本への思いを持ったまま帰国したことが大きな理由だったようです。
面談を通して見えた子ども達が抱えている問題には次のようなものがあります。
・ポルトガル語ができない為に該当学年に入ることができず、年下の子ども達と勉強しなくてはならない
・日本とカリキュラムが異なる為、特にポルトガル語や歴史・地理の学習で遅れが見えてしまう
・教室がうるさい為、落ち着いて勉強ができない
・言葉が分からず、しかも半日しか学校にいない為、友達を作りにくい
・日本のことや友達が忘れられず、家に帰るとコンピュータにのめりこんでしまう
以上のようなことが原因で、留年や転退学を繰り返したり、中には引きこもりがちになってしまった子もいました。
一方、学校側の意見としては次のようなものがありました。
・ブラジルは移民の国である為、どこの国の子どもも同じである
・子どもの語学適応力は高く友達が教えると覚えるのも早い
このような理由から、特別な支援は必要ないと考えている先生方か非常に多かったです。しかし私は、これはアルファベットを使用してきた子どもたちには該当するかもしれませんが、アジア系の子ども達にはポルトガル語を外国語として教える必要があるのではないかと思いました。
また、その他には
・おとなし過ぎて自分の意見が言えない
・何を考え、どう感じているのか分からない
・安全な所で生活をしていた為、危険を予知する能力に欠けている
という意見もありました。
ブラジルではまだ帰国者への支援体制ができていませんので各学校で対応が異なっています。個別にポルトガル語の支援をしてくれる学校もあれば、全く何もしてくれない学校もありました。このような事情により、親が学校に付き添ったり、家庭で勉強を見たり、家庭教師や塾を利用しなければならなかったりと、家庭の負担が非常に大きくなってしまっているようです。
日系ブラジル人は、ブラジルでは日本人と呼ばれ、勤勉だと思われていますが、日本ではブラジル人と呼ばれ、中には危険だと思われていることもあります。どちらの国からも外国人扱いされ、どちらの言語も不十分で母語がない状態であることも精神的負担になっていたと思います。そこで、彼らの為に何かできないかと考え、昨年度私はパラナヴァイ市で支援団体を結成しました。ブラジル側のメンバーとして、パラナヴァイ市前市長や、豊橋で研修を受けた先生達が加入してくれています。
支援団体がコーディネーターとなり、子ども、学校、家庭を結びつけ、豊橋と連携をとり合い、日本の情報を提供できればと思っています。
その他、面談を通して気づいたことは、自分のように日本から帰国した経験を持つ仲間がいることを知らない子ども達が多いということでした。そこで、お互いが知り合える機会を作る為に、「帰国者の会」を開いてきました。支援団体と退職した日系人の先生方に協力をお願いし、会の企画と場所の確保を行いました。そして、パラナヴァイ市州教育事務所に協力してもらい、メールで各学校に開催連絡をし、本人と各家庭に案内をお願いしました。このような連携を取ったことで、パラナヴァイ帰国者の会は総勢41名を集めて会を行うことができ、会の終わりには、「自分と同じ経験をしている友達ができて嬉しい」「是非このような会を続けていって欲しい」等の感想をいただくことができました。
クリチバ市でも同様の帰国者の会を開きたいと思い、個人的に連絡をして開催したのですが、残念ながら1回目の参加者は11名、2回目は4名という結果となってしまいました。やはり、パラナヴァイのような支援団体がない場所では難しいと感じましたので、ABD(ブラジル出稼ぎ協会)、パラナ州教育局、連邦大学に協力要請をし、連携して帰国者の会を続けていけるようにお願いをしてきました。
今回の事業を通して一番嬉しかったことは、多くの子ども達が、「日本のことが大好き」「今でも帰りたいと思っている」と言ってくれたことです。彼らの為に私達ができることは色々有るのではないかと思います。簡単なことで言えば、声をかけたり、話に耳を傾けたり、ブラジル人学校を訪問したり、ボランティア活動に参加したりということが挙げられると思います。
豊橋では7月にブラジルの行事を豊橋公園で行っていますので、これに参加することも一つの方法だと思います。また、進路指導において、豊橋には日系ブラジル人の受け皿の問題があります。高校進学や就職が難しくなっていますので、進路相談に乗るという方法も有るかも知れません。
そのような時に大切にして欲しいと思うことが1つあります。
それは彼らの境遇を可哀想だと思わず、ラッキーだと伝えて欲しいということです。私も最初は彼らのことを「可哀想」「出稼ぎの犠牲者」と思っていました。しかし、ある保護者の方の言葉で考えが変わりました。彼女は「子どもを育てるにはブラジルより日本が良いことは分かっている。ただ日本というのは敷かれたレールに沿って苦労なく大人になれてしまう。いざ壁にぶつかった時のことを考えると私は怖い」と言いました。そして、小さいうちから苦労をさせることで、自分自身が全力で問題にぶつかり、体で覚え精神的に強くする、そういったことから、彼女は帰国を選んだとも言っていました。その話を聞いて
から、私は彼らの境遇は決してマイナスではなく、寧ろプラスなのだと気づくことができました。しかし、そのことを子ども達は気づいていません。それを伝えてあげなければならないとも思いました。日本とブラジル、この2つの生活文化を若い時から経験しているということは、すごいことです。だから、貴方達は貴重な存在なのだと、私はこれまで伝え続けてきました。
今回演題に「遠くて近い国」と書きました。地図上ではブラジルは遠い国ではありますが、心の距離というのはとても近いのではないかと思います。ブラジル人という大きなくくりで見るのではなく、その人、その子として見ていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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