【講演】葦毛湿原の植生管理(豊橋北ロータリークラブ)
愛知県環境審議会専門調査員 中西正氏
葦毛湿原は、豊橋市岩崎町の弓張山系の北斜面70~80m に位置ある湿原です。葦毛の葦(あし)は現在ではヨシと言われる植物です。葦毛という地名は、源頼朝が乗っていた葦毛(あしげ)の馬に由来しています。
葦毛湿原は、傾斜があること、また草が生えていない礫が出ている所があることが特徴です。勿論、好きな時期に訪れてのんびりと過ごしていただくのも良いのですが、観察会などに参加して説明を受けると、この地には非常に多くの秘密があることや、この地の素晴らしさをを知ることができるのではないかと思います、その他の特徴として、周伊勢湾要素植物、氷河期遺存の植物、寒冷地の植物、食虫植物などが見られることが挙げられます。
豊橋のある東海地方は温暖地ですが、そのような場所に寒冷地の植物や高山植物が自生しているということです。また湧水湿地としては最大規模のものとなっています。先程述べた植物が生えない礫の部分は、下から水が染み出ていて表面は湿っています。このような湿地はこの地方特有の湿地です。有名な尾瀬ヶ原、釧路湿原、八島ヶ原などとは成り立ち方が違います。これらの湿地はかなり規模が大きく、例えば尾瀬などは端から端まで歩いて一日はかかります。葦毛湿原は早足で歩けば10分もかからずに一周できてしまう程の規模ですが、特徴的な成り立ちを持つ湿地としては大規模な場所です。また、市街地の近くにありますので、少し時間があれば訪れて自然を観察できるという点でも、非常に優れた場所であると言えます。
周伊勢湾要素植物は非常に分布が限られた植物群です。名前の通り伊勢湾周辺の小さな湧水湿地にみられる植物で、世界的規模でもこの地域にしかない希少な植物です。葦毛湿原にはこのような植物がかたまって存在しており、シデコブシ、カザグルマ、シラタマホシクサ、トウカイコモウセンゴケ、ミカワバイケイソウ、ミズギボウシ、ミカワシオガマなどが挙げられます。特に9月ごろに見られるシラタマホシクサは葦毛湿原を代表する植物だと言われることもあります。
氷河期にはその気候に適応した植物が存在していました。温暖化していくに連れて、それらの植物の多くは高地や北の地域へ逃げてきましたが、その時に逃げなかった植物が湿地に残りました。それらを氷河期遺存種といいます。イワショウブ、ミズギク、ヌマガヤ、ミカヅキグサなどがあります。
葦毛湿原には食虫植物も多くみられます。一般的に湿地は地面に含まれる栄養が非常に少ないので、生き物から栄養を摂取できる食虫植物が多くなると考えられます。
昔から葦毛湿原は調査対象として関心を持たれている場所です。調査報告なども書かれており、恒川敏雄先生の『渥美半島植物記』などがありますが、これは羅列的な記述にとどまっています。76 年から倉内一二先生が生態的な調査による研究記録を開始しました。私もこの時からお手伝いしていますので、37年程関わっていることになります。当初は県の調査でしたが、豊橋市の調査となり、その後は5 年ごとに調査結果を報告書として提出しています。
76 年に行われた調査を基にして、葦毛湿原は市の天然記念物になり、その後の調査を進めていく中で県の天然記念物となりました。私はこのままでも良いと思ってますが、市の担当者は方針を変えて大々的に公園化しようと考えているようです。
76 年に基礎調査が開始され、その後は単純な追跡的調査ではなく、小規模な回復実験を行った後、実質的な回復施策に移るなど、段階を踏んだ調査を行っています。これだけの手順を踏んだ野外での観察をしている所は他にはありません。また、その他の湿原も同様ですが、調査するべき対象が非常に多い場所でもあります。これらの調査結果をまとめ、様々な学会などで報告し、質疑応答を行い色々なヒントを貰っています。そして、実際の調査や回復実験、学会での意見などを踏まえたうえで、更なる回復施策を行っているという状況です。
最初の基礎調査では、葦毛湿原の成り立ちについて調査を行いました。質的な面では、葦毛湿原の植物を群落としてとらえ、群落の遷移を調査しました。その結果、葦毛湿原は森林化に向かっているということが分かりました。また、群落の配置を示した植生図を作成し、それを年ごとに比較するという調査も行っています。その結果、量的な観点からも、湿原全体が草原状態から森林へと変化していることが分かりましいた。
この調査の結果を受けて、次の段階である回復実験や小規模施策が行われることになりました。その前段階として行ったベルト調査により、傾斜の下の方では2~30 ㎝の土の厚さがあるのに対し、上の方では5~10 ㎝しかないことが判明しました。
これが葦毛湿原の特徴です。また、その場所で、ある植物が占める割合(植被率)も調査しました。この結果からこの狭い範囲内でも場所により非常に変化に富んでいることが分かります。
土壌の分布と植被の分布を重ねてみると、シラタマホシクサやミカヅキグサは殆ど土壌が無い、他の植物が育たない場所に多いのが分かります。イヌツゲは畔だった場所に多くあります。
マアザミも湿地性の植物ですが、湿原の上の方には殆ど無く、下の方に生えており、シラタマホシクサなどとは異質です。
草地がどんどん減っていき消失が危惧されることを受けて、その矢印を逆にすることが可能なのか、実験を行いました。
ここでの特徴は一方では除去を行い、一方では対象区を残したということにあります。ヌマガヤ群落を例にして説明します。
ヌマガヤを除去しますと当然ヌマガヤは減ります。そしてその後、シラタマホシクサが増えるということが確認できました。
1 ㎡程の規模での実験結果を、大きな範囲に反映しても大丈夫なのかという懸念もありましたが、その場合にも同じような結果を得ることができました。
その他の活動としては、植生管理を行う人材を養成する為のネイチャーボランティア養成講座を開きました。94 年に市の生涯学習課の主催で講座を開き、その受講生を中心に植生管理や観察会を行っています。このような活動で仲間を作ることにより、自然の大切さや方法論などを共有し、皆が同じ目的を持って進めることができるようになりました。1 回につき、全体の7~8%の部分を回復施策を行っていますので、すぐに綺麗になったと感じられるようなことはありませんが、葦毛湿原は「庭」ではありませんので、それで良いのです。それが自然の管理ではないかと思います。