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ろーたりーぱっちわーく2019-05-31T16:57:59+00:00

2019年6月1日

2019年6月1日

例会出席について考える

以前、例会運営について述べてみたが、今回は例会に出席することについて考えてみる。多少繰り返しの様な話になるが、ご勘弁を頂くこととしたい。

ロータリークラブは、ポール・ハリスとその仲間4人が集まって会合を開いたことから始まり、そして集まる場所をローテーションしたことから、ロータリーの語源になった。つまり仲間が集うことがロータリー例会の原点であると言えよう。

私が入会するときには、多くの先輩から必ず例会に出ること、100%出席を目指しなさいと厳しく言われたものだった。私は入会以来100%を続けてきたが、10数年ほど前に長期入院することとなり、一時途絶えてしまった。しかし、今でも例会への出席を重視する考えでロータリー活動を続けている。

さて本題であるが、ロータリーの例会の原点は “集う” ことであった。そこで何週も顔を合わせないことは会員として疎遠になるから、出席の義務がうたわれ、今も各クラブで出席報告という内容で、出席率を出すなど例会出席を重視している。

ロータリーソングの奉仕の理想の歌詞に「奉仕の理想に集いし友よ」とあり、我らの生業にも「集いて図る心は一つ」とある。さらにインターアクトソングも「ここに集いし我らは」と冒頭に出てくる。ロータリーの例会は集うことと考えて良いだろうと思う。

アメリカのレイクプラシッドクラブの入り口には「入りて学び、出でて奉仕せよ」と書いて有り、この言葉は日本のロータリーでも有名であった。あった、と過去形で書いたのは、数年前から国際協議会での垂れ幕にこの言葉が書かれていたのが、消え去り「Join Leaders Exchange Ideas Take Action」(リーダーよ集まれ、アイデアを広げよう 行動しよう)となった。

もちろん、「入りて学び…」が否定されたわけではないが、私はさみしさを感じる。
昨今の世界のリーダーの言葉には、学びの場を持つ例会に出るよりも、奉仕の場に参加していこうとするような表現が多くなってきているように、個人的には感じている。

今世界のロータリーは、地域において奉仕活動として行動を起こす人を多く呼び集めて、より大きな奉仕を広げて、公共イメージの向上、ブランド化を図っているので、学んでそして実践と言うのは、まどろっこしいと思っているのであろうか。

しかし、私が考えてきたロータリーとはどのような会合か、ロータリアンとはどのような人かと言うと次の通りである。
ロータリークラブに所属して例会の場において多くの会員と交わることで、自己の人生や職業サービスに更に磨きをかけ、より高潔性や倫理性を持った人格者として育ち、世の中の役に立つように奉仕していこうということである。
学びの場というと研修研鑽の場と言うことになるが、そこまでセミナー的なものでなく例会運営を共にすることで、育む・育つということに結び付くと思っている。

そのために、毎回例会に出て多くの人と知り合い、良い卓話を聞き、そして例会場を出たら、その実践をしていこうと言うことであると考えている。多様性や柔軟性も良いが、何でも良い、誰でも良いということでなく、ある程度、同じ奉仕の理想形を共にする仲間づくりの場が必要だと思っている。

例会は仲間づくりの場であり、自分を磨く場であろう。ロータリーソングの歌詞の内容がそれを表わしていることは、前述通りである。

ロータリアンとしての奉仕活動の第一歩はまずクラブの例会に出席することであると思うし、そのためには例会の運営を、出席したくなる魅力あるものにしなくてはならないのは、言うまでもないことである。

RID2760 2018-19 ガバナー 村井總一郎

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