2019年4月1日
2019年4月1日
牛とステーキ について考える
〜ロータリー牧場物語〜
たとえ話というのは、読む人の想像力や解釈によって、取り方が変わるものである。ご批判もあると思うがガバナー個人の考えとして、表題について考えてみる。
あるグループが牛を飼育し始めた。良い牛を育てようということで、牧草や牧場、気候や個体管理などいろいろと考え、一つの飼育理念を確立していった。
そしてやがて美味しい肉牛ができ、グループの仲間うちで美味しく食べていた。
ところがある時、君たちだけで美味しい肉を食べていて、君たちはよいが他の人にも食べてもらう機会を与えないのか、と言われ本当に喜ばれる美味しい牛肉を求めて、試験的にステーキハウスを開業した。これが評判となり店舗展開を始めた。
しかし、当初のグループの仲間はメンバーが増えるにつれて、良い牛を育てるメンバーたちと、美味しい肉を皆に料理して多くの店で提供したいメンバーたちに分かれてきた。
あくまでもステーキの本質は牛そのものである、良い牛を育てることにある、とするグループと、もう多くの良い牛が育っているし、育てる理念も確立して来た。これからは、牛のブランドイメージの向上やPRだ、というグループに分かれてしまった。
つまり、牛を育てることこそ、このグループの根幹であり、金看板であると強い思いを言い続けるようになり、あくまでもステーキハウスは試験的なもので、良い牛を育てるためのフィードバックをさせるためだとの思いを強くしてきた。
ステーキハウスの全世界への発展を願うグループは、ステーキハウスをマネージメントするリーダーの養成に力を入れ、出店に補助金を出し、お店をいかに強くするかという、戦略計画なるものまで出していった。それこそが、牛を食べる人にとって良いことをしていることだとの思いをこちらも強くして進みだした。
ここから先は、見えない何かが怖くて書くのをためらうので、読者の想像力(創造力)にお任せしたい。
牛を育てるとは何か、ブランドとは何か。このグループは何をやりたいのか、についても無責任であると思うが、あえて解説はしない。目くじら立てずに友愛の精神で読み下して
いただきたい。
むかしケーキ職人から、美味しいケーキは材料を吟味すれば、誰でもそこそこ美味しいケーキになる、と聞いたことがある。このことが牛に当てはまるかどうかは分からないが、やはり良い牛を育てることが大切だろう。今や数多くある他ステーキハウスのグループとの違いは、良い牛を育てるプログラムを忘れずに守っていることだと思う。
RID2760 2018-19 ガバナー 村井總一郎