2018年11月1日
2018年11月1日
三度インスピレーションについて考える
ガバナー公式訪問を10月で終えた。台風で1例会が11月末にはなったが、当初の予定は終えることが出来た。
その中で、私が説明した『インスピレーションになる』を聞けなかった会員のために、ここで説明の場を頂くことにした。各クラブのWEEKLYに卓話の詳細を書いていただいてもいるが、ガバナーとして文字化しておくことにする。
私はRIテーマとしての『インスピレーションになる』と『インスピレーションを感じる』は違うと考える。そしてバリー・ラシン氏の講演の中から、インスピレーション=前進の活力と意味づける。これが前提としての説明である。
例として次の話を場面を想像して読んで欲しい。
私がウォーキングをしていたとしよう。もう少し上り坂を歩くと見晴らしの良い展望台のようなところに到着する。そんな時、大きな岩かベンチがあったとしよう、私は腰を下ろして持参したペットボトルのふたを開け水を飲みそして汗を拭く、あぁ疲れたもう少し休もうと思った時、スーッと風が首筋を撫でる。私はハッと気づき、そうだもう少し歩いて展望台まで行ってから休むのだと思い再び歩き始める。
私を前進させたのは何だったのか、それは『風』である。風が私にとってインスピレーションとなったのだ。風が前進の活力をくれたのだ。物理的に体を吹き飛ばすような強風でない、そよ風程度のものだ。風は私に動けと言う風に吹いたのではない、誰にでも同じように吹いたのだ、しかし、私にはインスピレーション(前進の活力)となったのだ。
風がインスピレーションとなり、私はインスピレーションを感じたのだ。そう、ロータリアン一人一人の活動、一つ一つのクラブの活動が、周りの人を動かす、前進させる活力となることが、インスピレーションになろう、と言う言葉ではないだろうか。
さらにもう一つの話を読んで欲しい。
日本のロータリー誕生記念の点鍾のゴングをチーンと鳴らす、鐘の音は会場の隅々まで聞こえる。聞こえた方はいい音色だ、良く響くねと思うだろうから、インスピレーションを感じたという表現となるだろう。ここでインスピレーションになるとは、この鐘自身になろうということではないだろうか、自分から発する音色が周りの人を感化し、その心に何かひらめきを感じさせる。
ロータリアンはこの鐘となることが、インスピレーションになることであると、私はRIテーマ『インスピレーションになる』をとらえている。
『インスピレーションになろう』は、なかなか難しい様に考えるものであるが、私は以上のように理解し、公式訪問で説明をしてきた。受け手ではなく、送り手となることがこのRIテーマの神髄ではなかろうか。そしてそれを一瞬にして相手が感じ取るかどうかは、分からない、しかしロータリアンとして、常に思いやりの心で奉仕活動を続けることが、送り手となることだと思う。
ぱっちわーく第1回の結びの『風になる』の説明と思っていただければ嬉しく思う。