2018年12月1日
2018年12月1日
奉仕の理念について考える
奉仕の理想に集いし友よ、で始まるのは、ロータリーソング「奉仕の理想」である。
私が入会した20数年前は“Ideal of Service”を奉仕の理想と言ったが、英文は変わらないが、数年前にロータリーの目的の邦訳が現代的に変わった時に奉仕の理念となった。
邦訳であるから元の意味は変わってないと言うが、米山梅吉翁が訳されたと言われている奉仕の理想という言い方の方が私は好きだ。理想と言うと現実にないものがそこにある、夢や希望や明日の姿を思い浮かべる。これに引きかえ理念と言うと、固い不変なものを私は思い浮かべてしまう。だからと言い張るつもりはないが、理想という言い方の方には夢があって好きだ。
さて、この奉仕の理念と言う言葉は難解である。私が地区職業奉仕委員長の時、他クラブに卓話で伺う時にいつも困ったのがこの言葉の意味である。今年度は地区活動方針で『奉仕の理念を学び、奉仕の実践をしよう』を副題に掲げた。そしてガバナー公式訪問の卓話でその解説もしてきた。
ロータリーの「超我の奉仕」や「最もよく奉仕するもの、最も多く報われる」という二つのモットーだけで奉仕の理念を説明をするには、聞く側がロータリーによほど精通されていないとちょっとわかりにくい。
そこで、ありきたりであるが『思いやりの心』ということを強調してきた。あなたがして欲しいことを他の人にもしてあげましょう、という説明も加えて話をした。多くの宗教の教義にもこれと似たような表現が書かれていて、人として集団社会で生きて行くことの根幹の考えだと思う。
この思いやりを感じ、共に生きている共に助け合っているという意味から、共生・共感と言う言葉も併せ伝えた。しかしながら人によっては捉え方やイメージするシーンが違うと思うので、あなたの喜びが私の喜び、あなたの幸せが私の幸せと言う表現を強調し説明してきた。
思いやりとは同情することや慰めることだけでなく、手を差し伸べて乗り越えることであると思う。その根底は単なる偽善的な行為や金銭の施しなどでなく、さらに自己満足の為であってはならない。それがあなたの喜びが私の喜びである。良い汗をかいたではなく、喜んでもらえたということが大切ではなかろうか。
だからと言って、誰かに認めてもらうということではなく、評価や名声を求めるものであってはならない。であるからして、この思いやりの言葉は奥深く、さらに奉仕の理念となると、さらに深い言葉であると思う。
思いやりとは実際は本当に難しいと思う。
相手の感情を考慮し声を掛けないという思いやりもあるだろうし、静かに見守る思いやりもあるだろう。
しかし、人は一人では生きてはいないということは確かである。ロータリーの奉仕活動は、思いやりの心を実践してこそ意味があるのではないだろうか。
現実の問題から未来に向かっての問題まで、世界で良いことをしよう、を合言葉に思いやりの心を持つ仲間づくりを進めることがロータリアンとして肝要だと思う。
この奉仕の理念はまた機会があれば、別角度から書いてみたいと思う。