2019年2月1日
2019年2月1日
再び職業奉仕について考える
先回職業奉仕のRIとの関連について書いたが、今回は私が習ってきた職業奉仕ついて述べてみたい。
職業奉仕というと奉仕の理念と結びつけを解説されているものが多く、分かりにいと思われている。職業を通じて奉仕をすると訳されることが多いが、奉仕するというとボランティアのようなものを考える方が多いので、無医村の診療奉仕や災害地での復興支援に自分の職業スキルを活用することだと思う方も多い。最近のRIの考え方ではこれも大切な職業奉仕とされているが、先報のとおり社会奉仕との区分を明確にしたいロータリアンには解しがたい考えである。
まず、理念と言うことを切り離して考えてみよう。千葉県の松戸RCのPDG圡屋亮平氏は『職業人として、正々堂々と王道を貫いたご褒美が、各自の企業の繁栄につながる』と解説されています。
職業人としてとは、ロータリーは職業人および専門職の人々の集まりであるから、ロータリアンは職業人であるとの前提であると思う。(このルールは主婦や学生も会員として認めることで脆くも崩れたが)
次の正々堂々と王道を貫いたについては、次のように考える。正々堂々とは正しく立派な態度であるから、誰からも非難されることなく誰もがその正当性を認めるような商売方法で行うことと解したい。ここに四つのテストとして倫理観を重ね合わせれば良いのではないかと思う。
最後の各自の企業の繁栄につながるは、ロータリー活動にサービスの概念を取り入れた、アーサー・フレデリック・シェルドンの『最も良く奉仕するもの、最も多く報われる』の報われるはprofitsと書かれてあり、利益をもたらすと考えられる。
整理すると、商売をするうえで正しい方法でやれば多くの利益が上がるということであろう。この正しい方法とは何かであるが、私はお客様への思いやりを具現化した商品開発や販売方法、接客態度などであると思う。これを称してサービスと言うことで、単なる値引きやおまけではない。
この商売の過程(考え方ややり方)をサービス=奉仕とすれば良いのであって、商売をすること以外にすることや商売することの後に現れるものを奉仕と考えるから難しくなる。お客様のために正しい商売をする、そのことが奉仕活動だよと言うことである。
であるから、職業に依ってとか、職業を通じてとか、奉仕と言う別物があるという風にとらえることは、職業奉仕の初歩的な理解としては、あまりお薦めしない。単純に嘘をつかない正しい商売をすれば、企業が繁栄することで良いと思う。
では、このこととロータリーがどう関係しているかである。ロータリーの例会を早退したり、欠席の理由に職業奉仕をしているのでと言う方がいる。上記の説明からなら、正しい商売のためであれば良いということだが、果たしてそうだろうか。
私はロータリーの例会とは、出席することが前提であると思ってる。これは例会にでて多くの会員と話をし、倫理観を磨いたり発想の交換をしながら、何が正しい商売であるかを確認できる、あるいは新たに気づくことが分かる、とても有意義な会合であるからだ。
真の職業奉仕は自己満足の職業観を正しいとすることでなく、ロータリーの例会と言う場所で、自己の職業を正しく磨き上げることで、事業の繁栄に結び付けることである。
今一度言い換えれば、職業つまり商売を正しく行う行為が職業奉仕である、これを確認するのがロータリーの例会である。ゆえに、職業奉仕は個人の事業として行う奉仕であるともいえよう。
この続きは、またの機会があれば書いてみたいと思っている。