2018年7月1日
2018年7月1日
インスピレーションについて考える
英語はあまりというか、まったく得意ではないので、今回はその道の識者から突っ込まれないことを願いたいと思うが、テーマとして触れずには過ぎ去れないので、少しこの言葉について考えてみたい。
インスピレーションは日本語に訳すよりそのまま使われている方が多い。辞書などには「ひらめき・思い付き・霊感」と書いてあるが、なんだかわかりにくい。
国際協議会の分科会で研修リーダーにインスピレーションとは何かと聞いたが、研修が終わるころにはハッキリしてくるはずである、との返答であった。最終日に結局どう訳すのかという問いに、あなたがこの研修で感じたまま、それぞれの解釈があると、結局は統一の解答は得られなかった。
皆さんはどう解釈されるだろうか?『ピンとくる』という表現と『ヒントとなる』という表現がある。後者のヒントになるというのは、疑問を抱え、問題意識を持っているときに、ふとした言動がその解決になるということであろう。例えばサスペンスドラマで、刑事が家で食事中に家族の日常の会話に事件解決の糸口を気づくシーンがある。これは解決への障害が取り除けたということだと思う。
『ひらめいた!』ということで、これもインスピレーションの一つとも思うが、少々RI会長のテーマの解釈としては弱いと思う。
そこで考えるに、インスピレーションとは、一瞬閃光が走ると言うか、心躍るものを浮かべたということではなかろうか。これだ、これをやってみよう、このやり方があったのだという動機付けになったという方が強いものだろうと考える。
したがって、ピンとくる刺激となること、これではいけないぞ、頑張らなくてはと鼓舞させること、別の言葉では前進する活力になった瞬間、ということだと考える。
そうだ、と前に進みたくなるようなものが、インスピレーションではないだろうか。
見えない何かが、不意に前進する力を感じさせてくれる、勇気を与える風を感じる、躊躇を砕く風を感じる、その時がインスピレーションともいえないだろうか。
インスピレーションになるということは『風になる』ということでは格好良すぎる表現かなぁと自嘲気味に笑ってしまう。