2018年10月1日
2018年10月1日
前年踏襲について考える
今回は前年踏襲と言う言葉について考えてみる。
私が考えている前年踏襲と言う言葉の持つイメージは、すべてのことに対して、何も考えずに何も変えずひたすら同じことを同じようにすること、という意味合いを強く感じている。昨年はこれで誰からも文句言われなかったから、今まで誰も変えることをしてないのに自分の代で変えることはない、といった発想ではないかと思っている。
だから私は「前年踏襲はしない」ということがある。
前年踏襲と言う言葉で何も変えることをしないのは、何も考えない、何も意識しないで過ごそうとする言い訳であると言っては言い過ぎだろうか?
私の家業である糀屋は私で二十八代であるが、戒律的に何ひとつ変えてはならぬということはない。社訓ではないが、社員教育として次の言葉をよく使う。
『古くして古きもの滅ぶ、新しくして新しきものまた滅ぶ、古くして新しきもの永遠不滅なり』
簡単に説明すると、古いものをそのまま受け継いでいては駄目である、古いものを基盤に新しい息吹を吹き込んでいくことこそ永遠不滅である、と言う意味合いである。IT企業のような新進企業には合わない言葉であるが、わが社ではこの言葉を大切にする社風がある。
さて話題を戻そう、私は今までのやり方や活動してきたことを今一度見直し、改革すべきところは改革する。やめることもあるし、変えることもあるし、追加することもあるし、熟慮の上に手を加えないことももちろんある、これこそが「前年踏襲はしない」ということであろうと思っている。
ガバナーとしての私も、何も考えずに前年踏襲で良しとしていることは無いだろうか、間違ったままの運営は無いだろうか、と自分自身や周りの皆さんに問いかけながら、地区委員長の方々の協力で地区の運営を進めている。
過去のその時に任務に当たった人が間違えたことを誰も気が付かずに、または気が付いても修正せずに過ぎてきたことはないだろうか、それが標準となり正しいものとされていることがないだろうか、という検証もしていくべきと思っているということである。
更にガバナーとして皆さんと共に考えたいのは、なぜそうしているのかという問いかけに、いやそれは昨年もそうだったから、あるいは例年そうだからと納得していないだろうか、という部分である。
なぜこの人たちの集まりなのか、なぜこの時期にするのか、なぜこの順番の進行なのか、まったく検討されず、前年踏襲されている姿を見受けることが多い。
繰り返しになるが、全てを否定ではなく、検証した結果同じようにやるべきことはやれば良いし、変えるところは変えればよい。この過程を私は『前年踏襲はしない』という言葉で表現したいと思う。もちろん、この変化には多くの人の声に耳を傾けることは言うまでもない。
変えることには反対派が必ずいる、なぜ変える、しきたりを無視するのか、と言った声も出てくるだろう。理由があれば理解する人もいるだろうし、正論を振りかざしても頑なに拒む人もいるなど、様々な説得できにくい場面もあるだろう。
しかし変えなくてはいけないところは、熱い思いと真摯な態度で信念をもって突き進むしかない。ガバナーとして前を向いて1年間理解者の協力のもと歩んでゆきたい。
RID2760 2018-19 ガバナー 村井總一郎