ROTARY INTERNATIONAL DISTRICT 2760 国際ロータリー第2760地区
ガバナー月信
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 ガバナー月信 No.6 12月 家族月間
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  ■地区大会 速報
 

●RI会長代理ごあいさつ

RI会長代理 小島 哲

 ただいまご紹介いただきました小島です。私は2640地区という、大阪の南3分の1と和歌山全県をテリトリーとする地区の大阪側、泉大津ロータリークラブの所属です。ご承知かどうかわかりませんが、泉大津といいますのは有数の毛布の産地です。この頃中国からの輸入などで、だらしない感じがいたしますが、日本の生産量の95%ぐらいを製造しているはずです。
 今回、日本でも有数の地区である2760地区の地区大会に、RI会長ステンハマーさんと、そのご婦人のモニカさんの代理といたしまして、私と女房がご招待いただきました。非常にうれしく、また名誉と心得ております。
 豊田市にまいりましたのは実は初めてなんですが、昭和31年から5年間岐阜におりました。岐阜といいましても、各務原の川崎航空で飛行機のテストを担当しておりましたんで、週に2、3回空を飛んでいたわけです。ですから、この辺は空の上から何度も見ているはずなんですがよく覚えていません。
 その5年間で、一番強烈に印象に残っているのは伊勢湾台風です。豊田市の皆さんは、どの程度の被害を受けられたかは知りませんが、名古屋の南、名古屋湾の近くはひどいもんでした。上から見ましても、一面の水びたしで、家の土台だけが見えるという状態がずっと続いており、「えらいことやなぁ」と思った覚えがございます。当時、私はカミナリ族でして単車に乗って走り回っていたのですが、名古屋から国道一号線で桑名の方に出ますと、道の両側は一面の水なんですね。海水だと思うんですが、その中に金魚が泳いでいました。近くの「弥富」というところが金魚の名産らしく、養殖の池が水に浸かってしまったものですから逃げ出してきたのでしょうね。あれから50年経ちまして、その時の思い出は昔話になったようにも感じますが、「お気の毒なことやったなぁ」というのは今でもよく覚えております。

 私とステンハマー会長との出会いは、昨年の世界大会が大阪で開かれた時からです。その世界大会の財務長をお務めになりました井上さんも来られていると思うのですが、ステンハマーさんと、エイドのフレオという方が夫婦で来られていました。エイドが付いているものの、大阪近辺の案内は難しいだろうと、私ども夫婦がエイドとして2、3日お世話をいたしました。ステンハマーさん、フレオさん私どもと夫婦6人で、奈良ホテルで昼食を食べているときに、ウエイターに灰皿持って来て貰いました。ステンハマーとフレオに「もうここたばこ吸っていいんやと、わしも吸うからな、どうぞ遠慮なく」と言ったのですが、お二人ともたばこは吸わないそうで。私が吸うと言いましたので「お前は遠慮のう吸え」と仰っていただいたのですが、その場で一人だけで吸うのも気が引けてしまいまして遠慮しました。後からお聞きしますと、ステンハマーさんの奥様のモニカさんが、たばこを吸われるのですね。全然知らなかったものですから、奥様には何にも申し上げませんでした。大失敗してしまったなという気がいたします。

 今日は、私どもの歓迎ということで晩餐会を催していただきました。たくさんのお客様に来ていただき、誠にありがとうございます。私と同期のガバナーさん、ガバナーさんの奥様、何人も来ていただきました。応援していただけるのか、足を引っ張られるのかわかりませんけども、感謝している次第であります。同期の方のお顔を見ておりますと、ガバナーよりは、ガバナーの奥様の方が人数が多いようですね。どうも同期の中で「奥様方に人気があったんかなぁ」と思っております。明日の地区大会が成功し、有意義に終わりますことを念じましてご挨拶に代えたいと思います。どうも皆さんありがとうございます。

(RI会長メッセージならびに現況報告)

 ただいまご紹介いただきました小島です。私は2002年と2003年にガバナーを務め、こちらでは岡部快圓パストガバナーと同期です。この度、日本でも有数の2760地区の地区大会に、ロータリーの会長でありますステンハマーさんとご婦人のモニカさんの代理としまして、女房とともにご招待いただきましたことは、大変うれしく、非常に名誉なことと心得ております。どうもありがとうございました。
 これから、ステンハマーさんが今年どういう狙いを持って活動されるのか。それから、その狙いを受けたRIがどんな現状にあるのかをお話しますが、頂戴しました時間が20分か25分ぐらいしかございません。とてもじゃないが話きれないわけです。もう一つは、これから私がお話しますことは、会員の皆さんは多かれ少なかれご存じの話です。ですから、むしろ今日ここへ一緒に来ていただいていますご家族の方に聞いていただきたいと考えています。

 ステンハマーさんは今年度、会長としてテーマ「SERVICE Above Self」を挙げられました。これは皆さんもご承知のように、数十年前にロータリーが採用した標語です。ステンハマーさんは、100周年が過ぎた、101年目の今年、改めてもう一度昔を思い出し、これが大事だと考え直して欲しいという願いを込められたんじゃないかと思います。ただ、その「SERVICE Above Self」、「超我の奉仕」というのが、具体的にどういうことかになりますと非常に難しゅうございまして。いろいろと哲学的な解釈をされていると思うんですが、この「超我の奉仕」、もしくは「ロータリーの奉仕」という話が出てきます度に、一つ思い出す話がございますので、それをご紹介して、皆さんそれぞれのご判断にお任せしたいと思います。
 それは、完全に目の見えない方の話です。大阪の西にある神戸、そこからちょっと大阪寄りに「六甲」という街があります。そこから大阪へ毎日仕事に通っておられます。ある日、通いなれた大阪駅で、改札口に向かってとことこ歩いて、まさに改札口へ入らんとした時に、どこかから走って来たおっさんと衝突したそうです。おっさんえらい怒りましてね、「お前気ぃつけんかい」と喧嘩腰になったんですが、すぐに白い杖に気づいて目が見えへんとわかりまして、「なんや目見えへんのかしゃぁないな」と、トーンダウンしたんです。その方は正面が改札だと思って歩いたんですが、体が回りますと、改札の方向がわからないんですね。うろうろしてましたら、そのおっさんが「お前何うろうろしとんのや、改札口はこっちや」といささか乱暴に改札へ案内してくれたそうです。その後も、「お前どこへ帰るんや」「いや六甲まで」「わしもそっちへ行くんや」と、電車のプラットホームに案内して電車に乗せてくれた。「今日は空いとる、ここへ座れ」と座らせてくれた。目の見えない方は、電車に乗ってもどの席が空いているかはわからんそうです。触ってみないとわからんのです。その次は、止まっている駅がどこかがわからん。降りる駅まで勘定せないかんので勘定してましたら、「お前何勘定しとんねん」と聞くので、「8つ目が六甲なんで」と言うと、「六甲の先まで行くから、ついたら言うたるから心配すな」と六甲まで送ってくれたそうです。六甲へ着いたあとも「出口こっちや」と、ドアの方へ連れてくれて、「プラットホームは10センチほど低いから気いつけや」と降ろしてくれた。目の不自由な方は、声のする方に丁寧に頭を下げまして、「今日は非常に楽に帰って来れました、ありがとうございました」と丁寧に礼を言われたそうです。それを受けて、おっさんは「気いつけて帰れや」と言ったんですが、その後、独り言を言ったそうです。その独り言がプラットホームの目の不自由な方にもはっきり聞こえた。「そうかこんな俺でも人の役に立つことがあるんやなぁ」と言ったそうです。目の不自由な方は最後に「あの方は、きっとこれから町の交差点なんかで目の見えない我々が困っていたら『どこへ行くんや、横断歩道こっちや』と言って、案内してくれるでしょうね」とおっしゃってました。私は、この話が「ロータリーのサービス」、「超我の奉仕」を表わしているような気がするんです。目の不自由な人は、苦労してサービスしているつもりはなかったけれども、相手はものすごい喜んでくれた。相手の喜びが自分の喜びに返ってきているわけです。それが「そうかこんな俺でも役に立つことがあるんやなぁ」という独り言に現れているんです。ですから、皆さん「米山」とか「財団」とか、いろいろと「お金を出す」という形の奉仕をされていますが、何に使うか以上に、使った結果がどうだったんやと。奨学生が一年勉強して成長して帰ってきた、よかったなぁという喜びを、皆さん心に留めていただきたいと思います。私は「超我の奉仕」という言葉を聞くたび、その「そうかこんな俺でも役に立つことがあるんやなぁ」という言葉が頭の中を横切るのです。

 さらに、ステンハマーさんは、3つのことを重点目標だとされています。一つ目は「青少年交換」です。未成年、16〜17歳ぐらいの学生を日本へ呼びまして、日本の高等学校で一年間勉強してもらうプログラムです。ぜひ日本へ行きたいと思って、日本へ来たという子どももおりますし、実はヨーロッパへ行きたかったんだけど、枠がなくて仕方なしに日本へ回されたという子もあるわけです。お世話されてる間に事件があるので、いい方の話と悪い方の話と一つずつさせていただきます。両方ともアメリカの女性だったんですが、一人は日本へ来てホームステイしているうちに、段々お腹が大きくなって、えらい騒ぎになったわけです。その会長幹事、ホストファミリーは、当面の攻撃に晒されて、仕方なく子どもを呼んで白状させたら、来る寸前にボーイフレンドにふられたと言うんですね。それでカッとなって応募したら通ったんで来ましたという話だったんです。周りはやれやれやったんですが、強制送還になってしまいました。こういう子どもも中にはおります。
 もう一つ、私が非常に感銘を受けた話は、やはりアメリカの女の子なんです。ホームステイ先のお母さんが、急に病気にネって入院したんです。子供を預かってる、自分ところの小さい子どももおる、そうしたら女房が病気になった。そんなときどうするかといえば、世話はできないから、次のホームステイ先に前倒しをお願いして、移ることになります。その女の子は、ホームステイ先変わって住所や連絡先が変わりますから、アメリカへ電話して、今のお母さんが病気になったから次へ移りますと言ったわけです。そうしましたら、そのお母さんが「ホームステイ先のお母さんが入院したら誰が掃除して、洗濯して、ご飯作るの」と言った。「お父さんが作ると思います」と言ったら、「もう高校2年生でしょ、それぐらいのことはできるはずです。あなたがそのうちで手伝ってあげなさい」とお母さんが言ったそうです。その子は、ホストクラブに行って「私はあの家で、お母さんが入院している間手伝います」と言って、それから3週間ほど必死に世話をしたそうです。お母さんが帰って来て、ホストファミリーのお父さんに「留守の間、何食わせてもらってたんや」という話がクラブで出たわけです。そうしたら、その人は「さすがに和食はなかったなぁ」と、涙をうかべてたそうです。 最後に一言「俺は、娘が一人増えたで」とこう言ったそうです。ステンハマーさんは17〜18歳の子ども全員を、交換学生にするという夢があるとおっしゃってます。このケースではアメリカから日本へ来て、日本のホストファミリーと、心と心の触れ合いがあって、理解しあえたわけです。こういうスタイルが多くなってきますと、トラブルも少なくなるでしょうし、大きく言えば世界の平和に向けて一歩踏み出せるんじゃないかなという気がします。ですから、交換学生を預かることについては、難しいこともありますし、奥様方がノー言われたらそれまでなんですが、なんとか奥様方を啓蒙して。ステンハマーさんの意向を受け継いで「交換学生」の数を増やしていってほしいです。

 その次に、ステンハマーさんがおっしゃっているのは「水の問題」です。世界で10億人近くが、飲み水が手に入らない、26億人ぐらいが非常に困っている。なんとかその問題を解決したいというのが次の目標です。2640地区の、米山の学生から聞いた話なんですが、かなり前、ベトナム難民だと偽って中国人30数名が日本へ密航して来たんです。日本へ着く寸前、その船が座礁して動けなくなった。乗っていた37人全員が捕まって、パスポートもビザもありませんから強制送還になりました。全員が中国人なので、通訳が足りないと、その米山の子に声がかかりました。通訳に行きますと、朝から晩までで一日に一万円くれたそうです。結構なお昼ご飯がつきまして、米山の子も喜んでしまって、私に「小島先生また来ないでしょうか」と言うから、おいちょっと待てと笑ったんですよ。それで、強制送還のために入ってもらう拘置所では、そんなにいい食事が出るとは思いませんが、来た連中は、こんなおいしいもの食べたことないと言って喜んで食べたそうです。朝になって、水道からコップに一杯の水を出して歯を洗いなさい。それが済んだら、洗面器に水を出して顔を洗いなさい。余るようなら体を拭いてもいいし、下着を洗ってもいいよという、ごく普通の日本人の朝の作業です。そう言ったらみんながびっくりして、口々に叫びだした。何を言っているのか聞いてみましたら、飲める水で体を洗ってもいいんですかと、びっくりしてるらしいんです。彼らの生活では、飲み水と体を洗う水、洗濯する水というのは、完全に別のもんです。飲み水は天秤棒を担いで、1時間も歩いて汲んで来ないかん。体洗ったり、洗濯したりは横の川の茶色い水。ちょっと上では川端の家がその川をトイレに使っているようなところで生活しているわけです。日本では洗濯する水は飲める水ですし、お風呂も飲める水を沸かしてます。水洗便所も飲める水で流しているわけです。ちょっと彼らには信じられない話なんです。ですからポリオ問題にしても、ポリオは口から口へうつるんですが、トイレと一緒のところで体を洗ったりすると、一人発生したらすぐにみんなにうつることになります。なんとか井戸を掘って、ポンプでもいいですから据えてあげて、飲める水を渡したいというのがステンハマーさんの2つ目の夢です。
 これはおもしろいんですが、ステンハマーさんは、お家で奥様と話をされるんです。ステンハマーさんは、「青少年交換」を最優先したいというお考えらしいんですが、奥様のモニカさんは、水の方が大事やと言って、大分お二人の間に意見の相違があるそうです。

 3つ目のステンハマーさんの狙いは「識字率向上」です。世界には字の読めない人がいる。ことに女性の識字率は問題で、識盲と呼ばれる人が多いので、識字率を向上したいとおっしゃってます。私は14〜15年前に、GSEの団長としてブラジルへ行ったんですが、ブラジルでは文字の読める人は、人口の50〜55%ぐらいだそうです。サンパウロとか。リオデジャネイロあたりの大都市では、もチと識字率は高いんですが、北やアマゾン地域の密林では、学校へ通いたくても学校がありませんし、子どもも8〜9歳になったら、家の手伝いをしなきゃいけないから、到底学校へは行けず、字を習えない。これはポリオの防止にもいろいろやっかいな問題になりまして、『いついつポリオの薬を飲ませるから来てくれ』と立て札に書いても、読めないから駄目なんです。非常に難儀な話ですし、やはりそういう人は極貧です。非常な貧乏ですから、例えば、ポリオのワクチンを持って行って子どもに飲ませると、薬を貰った方は、こんなとこまで薬を飲ませに来てくれるよりは、飴玉の一個、パンの一切れでもほしいという感じなんです。だから、その極貧をなくするためにまず働こう。貧乏だから学校に行けない、学校にいけないからますます貧乏になる。これを断ち切るためにも、字が読めるようにしたいというのが、ステンハマーさんの3つ目の願いです。これは「青少年交換」とは違い、今年何かやったから、来年結果が出るという話ではありません。何年も何年も続けて、やっと字が読めるようになるので、なかなか結果がわかりにくいんです。わかりにくいんだけれども、日本では字が読めないという人はまずありません。我々は、よその問題だと目の前から消しておりますけれども、なんとかお手伝いをしてほしいというのが、ステンハマーさんのお願いです。

 RIの方では、どんな問題があるか。やはりRIが気にしているのは、会員の減少です。会員数は、日本はもちろんアメリカ、カナダ、南アメリカ、みんな減っています。いろいろ原因はあるんでしょうけれども、なんとか食い止めたい。ステンハマーさんがおっしゃるには、各クラブ1名ずつ純増してくれませんかと。そうすると、大体2〜3万人は年間に増えるわけです。まあ150万ロータリアンの「150万」という数字に追いつくんじゃないかと考えています。財務、お金の方はどうか。ロータリーの人頭分担金、財団の方への寄付の運用、ともに非常に調子よくいっておりまして、今のところ問題はなさそうです。3年か4年前に、向こうでブラックマンデーがありまして、えらい騒ぎやったんですが、今はうまく運用しているようです。
 会員数の減少なんですが、一つにはクラブそのものの動きが低調なんですね。もっとクラブが効果的に動いてくれればということで、クラブリーダーシッププランが発表になっているわけです。私は会長代理の立場としては、意見を述べるのを控えますが、プランをクラブに押しつけて、急にクラブが活性化するようなことは考えられないような気がします。

 最後の問題としましては「災害援助」があるんです。この間から、津波や地震など、大きな災害がありまして、それにボランタリーで助けに行くことは、ロータリアンとしては難しいでしょうから、お金を送ることになります。1923年に関東大震災がありました時には、即刻アメリカから2万ドル、当時のお金で2億円ぐらいの金を送って、それが随分役に立ちました。東京のクラブは壊滅していますので、確か大阪のクラブへ送って来て、大阪クラブから経由をしたはずなんです。『こういうことに使って、こういう結果が出ました、ありがとうございました』という、きちっとした報告をいただいたRIへしています。これが大事なんですね。ところが今、スマトラの津波とか、パキスタンの地震で何か寄付しても、一体それがどこ行ってどう使われたかが全くわからない。テレビなんかでもご承知のように、援助物資を運んで来ましたら取り合いです。順番にもらうというようなことないわけです。力の強いやつが余計に持って帰るということですね。へたしたら、取っていったやつを横で売っていることになりかねません。非常にこれが難儀な問題でして、どうするかは、RIも考えていますでしょうし、手を差し伸べる我々サイドも考えなきゃいかんことだという気がいたします。

 会員数の増加は非常に重要な問題です。全世界の52%が女性で、48%が男性ですが、日本で女性のロータリアンは、わずか3%か4%ぐらいです。ですから、皆さんのクラブで女性を会員にするという努力ができるはずです。引っ張り込んだ女性のロータリアンを、なんとか会長にするのも皆さんの努力でできるはずですね。会長になった女性がたくさんありましたら、次にガバナーにすることもできるはずだということです。少なくとも半分半分ぐらいの男女比になっても少しもおかしくないと、ステンハマーさんは考えています。ですから、一つ、会員増強につきまして、努力していただきたいと思うんです。それと裏腹に、ロータリアンというのは、頼んでなってもらうんやなしに、なんとかなりたいとおっしゃっていただいて初めて増強されるのではないかと思うんです。ある程度、社会的なステイタスも大事でしょうし、入りたいと思っても順番待ちで、なかなか会員になれないスタイルになりましたら、そこでの増強は本物やないかなと思います。事実、そういう形な増強しているのがドイツです。非常に入会基準が難しい。ですが、逆に会員数が増える傾向にあります。どうぞ皆さんご努力お願いしたいと思います。
 今日はこの地区大会にお招きいただきまして、再度お礼を申し上げます。これからの今日3時、4時までの地区大会の実りあることを念じまして、私の挨拶と代えさせていただきます。どうも皆さんありがとうございました。

(RI会長代理挨拶)

 背が高過ぎて上に乗ると天井へ当たりそうなんで、ここでやらせていただきます。午前中終わりまして、私の役目も3分の2ぐらい終わったんで、ゆっくりお昼ご飯を頂戴いたします。少々寒うございまして、こんなにご馳走が出るんでしたら、熱燗の4合ビンでもいただいたら最高だったかなぁと思っています。昼からまたよろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございます。

(講評)

 皆さんどうも、これが私の最後の仕事になるようであります。今、トヨタ自動車の渡辺社長のお話を伺っておりまして、私はちょっと50年程前、昭和31年に川崎航空へ入社した時のことを思い出しています。その時、川崎航空ではロッキードというアメリカの飛行機会社と提携しまして、ジェットの練習機を作っておりました。そのために、ロッキードから200人ぐらい技術者が来ておりまして、川崎航空の係長クラスから上は全部、1対1でアメリカの人が付いとったわけです。その課長クラスの方と、我々フレッシュマンで話をしておりまして「ところでお前ら給料なんぼもろとるのや」というような話になりました。当時、川崎航空は比較的給料が安くて、1万800円だったんですね。当時はレートが360円でしたから、ちょうど30ドル。「安いなぁ」と言うわけです、向こうは。「ところで30ドルを何曜日にもらうんや」という話になりました。「何曜日ということはあらへん、26日にもらうんですよ」と話したら、「それで4週間分か」と。30ドルを週給と考えてたようなんです。「1か月30ドルや」と言ったら、「日本は大学出のフレッシュマンを1月に30ドルで雇えるのか」と。それで、同級生はどこに就職したのかと聞きます。ナショナルとか、まだトヨタの話は出なかったですが、ホンダ辺りで、単車や自動車、洗濯機、トースターなどのデザインをやっているんやという話をしました。そうしたら、感心してしまいまして、日本はたった30ドルでエンジニアを雇えるんかと、アメリカじゃ、到底大学出のフレッシュマンを雇い入れることはできない。日本の家電、車は、世界一になること間違いない。負けた、アメリカは負ける。日本の商品は最高のものが出来るはずやと言ったんです。私はその時はまだ半信半疑でしたが、確かにそのとおりになりました。
 トヨタさんの話ですと、トヨタ車というのは、フォード、GMが赤字に落ちかけている時に一人で儲けられた、世界に冠たる会社なんです。その立派なトヨタを作り上げられた影には、今渡辺さんがお話になったような努力が営々と続いとったんだと私は改めて今のお話で感じた次第です。
 それともう一つ、その時、アメリカ人に、車とか家電に大学出のフレッシュマンは入れないのだったら、毎年たくさん卒業するフレッシュマンは何するんやと聞きました。すると、これからの技術に突っ込むんやと。これからの技術は、宇宙開発と人工臓器やと言いました。人工の心臓とか腎臓とかそういう意味ですよ。今話聞くとそうかなと思うんですが、皆さんそれ50年前ですよ。昭和31年に、そんな話を聞きまして、さすがアメリカのエンジニアだなぁと、改めて昔を振り返って、あいつ大したもんやったなあという気がしています。

 本日は本当にこの2760地区の地区大会にお呼びいただきまして、ステンハマーさんとモニカさんの代理として、女房とともに呼んでいただきまして誠にありがとうございました。渡辺さんのお話にはもうすごく感銘を受けましたし、朝からありました行事、じっと聞かせていただきまして、非常に楽しゅうございました。今日の地区大会の成果を、それぞれのクラブへお持ち帰りいただきまして、多少ともこれからのロータリー、ステンハマーさんの意向にですね沿うようにご努力していただきたいと思います。皆さん本当にありがとうございました。