クラブ事業報告

ベトナム社会主義共和国 キエンジャン省 アンミン郡 における水支援事業について

開催日:2023-02-15

あまRC 国際奉仕委員長 谷川浩司

  • ベトナム社会主義共和国 キエンジャン省 アンミン郡 における水支援事業について

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 今回、あまロータリークラブでは、RI(国際ロータリークラブ)の重要テーマの一つである「水と環境」に沿って、ベトナムにおいて、水支援事業に取り組むことにいたしました。
 一概に「水支援」といいましても、何がどのように必要なのか、ベトナムの南端の環境がどの様な状態なのか、わかりませんでした。そこでは、水自体が存在しないのか、水道整備が必要なのか、あるいは別の対応が必要なのか、不明でした。そのような情報不足の中で、当初の計画としては、井戸を掘り、水をくみ上げ、タンクに貯めたうえ、その水をろ過して飲用可能にするというものでした。ところが、事業を進めていく中で、現地では井戸の掘削ができないという情報がもたらされ、事業自体を根本から見直す必要に迫られました。そのため、コロナ禍が収まりつつあることも踏まえ、現地の視察を決断しました。
 ホーチミン市から車で南へ6時間ほど行った現地を視察した私の目には、メコンデルタの湿地帯の光景が飛び込んできて、およそ見渡す限りの水に囲まれ、この場所で「水支援」というのは何を意味しているのか、戸惑うばかりでした。水に囲まれたこの場所で、なぜ「水支援」が必要なのか。水は有り余っており、むしろこの水が人々の暮らしを妨げる原因になっていると思われる場所に、私には見えました。しかしながら、このような湿地帯を抜けて、現地の小学校・幼稚園などを視察してみると、ここでこそ、水すなわち飲料水が必要であることに納得することができました。
 この地方の人々を支えている水(飲料水)は、メコンデルタの水ではなく、主に雨水でした。現地でも多少なりとも裕福な人々は清潔な水(飲料水)を購入することができますが、ほとんどの人々は雨水をため、それを煮沸して、飲用水に使用していました。小学校で使用している水(飲料水)も雨水です。水瓶に貯えた水を主に手洗いなどに使用していました。一見したところでは、蛇口もあり、洗剤も完備されていて、普通の水道のように見えましたが、水瓶の中は、残念ながら清潔とは言い難い、劣悪な状態に見えました。私が実際に蛇口をひねってみると赤茶けた水が出てきました。この小学校でも、昨今の感染症対策で手洗いを促進するように書かれた看板が、水道の横に設置されておりましたが、このような赤茶けた水での手洗いが感染症対策に有効なのかは、疑わしく思わざるを得ませんでした。
 この時の子供たちは、みなさん元気で、体調が悪いようには見えませんでしたが、事情を聴くと、子供たちそれぞれがペットボトルのジュースや水筒を持ってきており、この蛇口から供給される水を飲用にしていないことが分かりました。そこで、今回の国際奉仕事業の方向性が明らかになりました。私たちは、この学校の蛇口から出る水を清潔な水(飲料水)に変えるための水ろ過装置を設置する形で、「水支援」を行うことに決めました。子供たちが清潔な水を使って、手を洗い、うがいを行い、安心して飲用できる水(飲料水)を提供する事業こそが必要であり、それこそが「水支援」である判断しました。
 ちなみに、ベンチを取り囲むメコンデルタの水が飲用できないほど汚染されているのは、先の戦争での枯葉剤の散布、水源を利用したココナツ畑における無計画な農薬散布と言われていますが、私自身は、一番の原因は、生活排水での汚染ではないかと考えています。この問題は、現地にとって、今後の最大の課題なのではないかと思っています。
 このような経緯で、支援事業の内容は決まり、施工業者の手配などの実務に移っていきましたが、現地での手配などは、あまロータリークラブの米山奨学生であった、ベトナム人のグエン・シンコン君(彼はその後、米山学友として活躍しています)に活躍してもらいました。彼から現地のNPO団体をコーディネーターとして紹介してもらい、この事業に対するパートナーシップ契約を締結することができました。これは本当に幸運なことでした。これにより、アンミン郡人民委員との折衝、施工業社の手配、管理、設置後10年間のメンテナンスのすべてを現地NPO団体が引き受けてくれることになりました。この契約等の結果、現地の小学校3校、幼稚園1校の合計4か所にろ過装置の設置を決めて、意気揚々と日本に帰国しました。
 ところが、その後、別の問題が発生しました。ご記憶にあると思いますが、未曾有の円安と世界的なインフレです。これにより、支援事業の予算の大幅な見直しを迫られました。現地業者の施工の見積もりが毎回のように変動し、費用の目途が立たない状況になりました。結論としては、当初予定していた4か所の設置を3か所に縮小せざるを得なくなり、小学校3か所の設置に計画変更となりました。視察の際に話をしていた幼稚園のスタッフの方々のことを思うと断腸の思いでした。ところが、その後、パートナーとなってくれたNPO団体が、この幼稚園での設置を、あまロータリークラブに代わって引き受けてくれることになりました。おかげで、予定していた通りの4か所の設置が実現することになり、工事も順調に進み、受け渡し式典を待つだけとなりました。
 その式典出席のため、あまロータリークラブの数名の会員と一緒に、2023年2月1日、ベトナムへと向かいました。定期便の時間の関係で、飛行機から自動車に乗り継ぎ、現地近くのホテルに到着したのは、夜中の時間帯で、翌朝には、設置状況の確認に現場に向うことになっていました。行程としては、幼稚園から順に3つの小学校を訪問することになっていました。最初の幼稚園までは、ホテルから1時間30分ほど距離でしたが、目的地まであと5分というところにある最後の橋を渡る直前で、通行止めに遭遇して、大きく迂回することを余儀なくされてしまいました。時間にして、5分のところが2時間弱を要することになりました。これが最後のトラブルで、その後の受け渡し式典はその後順調に進みました。この受け渡し式典では、あまロータリークラブの後藤裕一副会長が挨拶を行い、大西晃弘幹事がプレゼンターを務めました。なお、日本を出発する前に、あまロータリークラブの会員から募金を集めていましたので、NPO団体と相談して、子供たちに奨学金と文具のプレゼントを届けることもできました。式典が行われた現地では、子供たちが日本語で「ありがとう」を連呼してくれたり、父兄からはお礼を言われたりして、心から歓迎されました。式典の最後にはアンミン郡の副主席が涙ながらに、「遠く日本からベトナムの端までわざわざ支援にきてくれて、本当に感謝している」との言葉を私にかけてくれました。私の方こそ、感謝したい気持ちでした。
 式典に際して、もう一つ、私の印象に残っていることがあります。それは、式典の後、ろ過装置を設置し終えた小学校の校長先生が、私のところにきて、「こんな高価な機械を設置してくれて感謝します。今日から私とすべての先生でこの機械の使い方を勉強して大切に使います。」と言いました。彼らにとって、この機械が複雑なものに映ったのかもしれませんが、自分たちで、維持管理していくための努力を惜しまないという姿勢がうかがわれました。そこで、私は逆に、管理したり、使ったりできないような複雑な機械を提供してはいけないのだという印象を持ち、今後の国際奉仕でも教訓にしたいと思いました。
 さて、あまロータリークラブが、なぜ今、ベトナムの支援なのかを疑問に思う方がいるかもしれません。一つには、米山学友であり、あまロータリークラブの米山奨学生でもあったグエン・コンシン君が積極的に国際奉仕の提案をしてくれたことにあります。さらに、もう一人の米山学友のグエンチャンさんの力もありました。今回の支援事業の中で、彼らは「ロータリーに本当に感謝しています。」「いつかこの恩をお返ししたい。」と言っていました。それに対して、私は「ロータリーに恩を返すなどということは全く必要ないよ。」と答え、「でも君たちが成長して少しゆとりができたとき、支援を必要としている人がいたら、その人たちを支援してもらえばうれしいね。」と伝えました。この今回のような支援事業を一緒に行うことで、いつか、この学友たちや成長したベトナムの小学生たちが、一緒に次の支援活動に向かってくれることになれば、素晴らしい国際奉仕の輪になっていくものと思います。
 これが今回ベトナムでの支援事業を経験して、感じ、考えた、私なりの国際奉仕の在り方に関する結論です。