【講演】消防の組織と消防魂(名古屋昭和ロータリークラブ)
名古屋市昭和消防署 署長 北川吉樹様
本日は、昭和警察署の職員3名と昭和消防署の職員3名を表彰して頂きありがとうございます。
表彰して頂いた私共の職員は、予防課の職員が1名、消防第1課の職員が1名、消防第2課の職員が1名です。消防署の組織は、総務課、予防課、消防第1課と第2課となっております。この消防1課、2課といいますのは、例えば1課が今日勤務なら明日の朝からは非番になって、替わって2課が勤めるという形になっており、1課、2課というのは同じ内容です。総務課は民間の会社と同じで経理事務や福利厚生などの事務処理をする部署です。
予防課というのはちょっと特殊な部署でして、ホテルやビルに火災を未然に防ぐ為の消防設備が備えられているかを調査します。査察に入った時にあまり芳しくなければ改善をお願いするという仕事をしています。また、新しい建築物ができますと消防設備が適性かどうか、書面審査ですが調べるという仕事もやっています。それからもう一つは、地域の皆様方の自主防災活動が上手くいくように、地域の皆様方と一緒に作っていくというポジションです。
消防課の業務は、皆様方が目にされている消防の仕事です。火事、救急、救助、他にも毒劇物での災害、地下鉄サリン事件でも出動していますが、化学物質の災害にも出動しますし、NBC災害にも装備をもって隊員を出します。その他、列車事故、福知山の列車事故がありましたが、こうした事故でも消防が働きます。そういった意味では仕事がどんどん広がっているという点を知って頂きたいと思います。
若い職員が消防学校を卒業し、辞令交付を受けて署へ配属され、今日(10月1日)から正規に勤務しています。消防というのはチームワークですから、先輩に言われたことがきちんとできるかどうか、足手まといにならないかどうか、そうした事を更にテストして、何ヶ月も訓練してやっと一人前になります。意思疎通を図って、体が慣れるまでトレーニングをする事が必要になりますので、一人前になるには一定の時間が掛かります。
若い職員の中には、テレビやマスコミの報道で、事故にあった方を救助する現場等を見て救助隊に憧れて入ってくる者もいます。一方、公務員になりたいけれど中々難しいので消防でも受けてみよう、ということで入ってくる者も、1割くらいですがおります。
若い職員が、救急隊をやりたいとか、消防隊をやりたいとか希望するのは積極的で嬉しい事ですが、ただ仕事の中では予防課のように縁の下の力持ち的な仕事もやらなければならない事もあります。希望通りにならなくて予防課へ回ったような場合、その職員はしばらく元気がありません。そういう職員には、予防の仕事というのは火災を未然に防いで人命を救う大事な仕事だし、火事が減れば消防隊員が危険な現場へ出動する事も減る、と励ましています。
私は救助隊に長くおりましたが、課長に昇任した時、消防音楽隊長を命じられました。救助隊のオレンジの服を着ていた時代から、音楽隊長の服を着て指揮を執るわけで、180度の展開でした。それまで部下を励ましてきたのですが、自分がそうなった時はしばらく悩みました。その時、私が消防魂を再確認できた新聞の記事がございました。それを今から読んで最後にしたいと思います。ある作家の方が書かれた2006年6月13日付の産経新聞のコラムです。
「ハイパーレスキュー隊という言葉は、2年前、新潟県中越地震を伝えるテレビニュースで初めて知った。発生から4日後、土砂に埋もれたワゴン車から全身泥だらけの少年を助け出して抱き上げた、オレンジ色の服を着た隊員たちのことである。現場では今にも崩れ落ちそうな岩石の隙間からわずかにナンバープレートが顔をのぞかせているだけ。奇跡といっていい救出劇は、隊員たちが余震の恐怖と戦いながら「ウー」という微かな声をたよりに、慎重に土砂の撤去作業を続けた結果だった。当時2歳だった少年の生命力と共に、プロ集団の見事な仕事ぶりが印象に残った。
元々平成8年に東京消防庁内に発足した消防救助機動部隊の通称だという。阪神大震災の教訓を生かす意味もあった。今や消防官といえば消火活動にとどまらない。地震や水害などの自然災害、交通事故、そして地下鉄サリン事件でも現場に急行した。その仕事の重さと広がりの大きさを象徴する組織といえる。テロを新しい戦争と呼ぶならば、いつも最前線に立ち、最初に立ち向かって戦う事になるのは実は消防官なのだ。ワールドカップ一色に沸く日本列島、
お祭り騒ぎをよそに万が一の事態に備え、一度事が起これば身を挺して人命を救おうとする。そんな人達がいることを心にとどめていたい」。ご静聴ありがとうございました。