まずはじめに、全世界200を超える国と地域よりここにお集まりくださった532地区のリーダーである皆さまを、妻のビノタとともに心から歓迎申し上げます。
この会場にお越しになった際、入り口に掲げられた「入りて学べ」という言葉をご覧になられたことと存じます。
私たちが成すべきことは、その文字の記す通りです。私は、謙虚な気持ちで皆さまと向き合い、これからの学びの5日間に私たちが共に達成すべきことを明確に描きながら、この場に臨んでおります。これから私たちが共にする経験は、決して忘れることのない意義深いものとなるでしょう。ここで、しばし皆さまのまわりにどのようなお仲間がおられるかご覧ください。右隣、左隣、そして前と後ろにおられるのは、皆さまの新しい友人です。どうぞ見回してみてください。国も文化も宗教も異なる方、あるいは違う言語を話し、違う服装を身につけている方かもしれません。こうした違いにもかかわらず、私たちには一つの共通点がございます。それは、私たちが皆ロータリアンであることです。同じ希望と夢を持ち、子供や孫、家族の安全と幸福のために同じような願いを抱いています。
これからの数日間、出会い、挨拶を交わし、食卓を共にし、共に学ぶ中で、私たちの友情は深まっていくことでしょう。
そしてここにいる誰もが、この機会を待ち望んでいたはずです。皆さま、どうぞご起立ください。席を立ち、前後左右のお仲間と握手を交わしてください。さあそれでは、早速やってみましょう。
ありがとうございました。本日は、皆さまにとりましても、私にとりましても、誠に特別な日でございます。
輝かしい元会長の皆さまをはじめ、理事や管理委員、役員の皆さまという、この偉大な組織の過去、現在、将来のリーダーたちが一堂に会しています。
さて、何からお話しすればよいでしょうか。まずは、ロータリーの歴史を紐解くところから始めてまいりたいと思います。1997-98年度に低コストのシェルター・プロジェクトに着手したのは、オーストラリアのグレン・キンロス元会長でした。このプロジェクトがきっかけとなり、インドの第3260地区、ライプルのロータリー・クラブに、地方自治体からヘクタールほどの土地が与えられることになったのです。そこに1軒につき800米ドルの費用で、約33平方メートルのシェルターが500軒建てられました。1軒のシェルターに対して、オーストラリアのロータリー・クラブが300ドル、現地の3クラブが100ドルを寄付し、残りは財団のマッチング・グラントから資金が提供されました。シェルターの完成に合わせて、ライプルのクラブが地元の新聞に広告を掲載したところ、およそ5,000件の申し込みがありました。そこで、ロータリアンたちは、抽選によってシェルターの利用者を選ぶことにしたのです。
抽選当日、シェルターのそばの空き地に、ロータリアンや3,000人ほどの人々が集まりました。私も4,000キロメートル近く離れたムンバイから飛行機で駆けつけました。
確か135人目の当選者だったと記憶しているのですが、アニサ・ベグンという名前が発表されると、白いサリーをまとった細身の女性が群集の中から立ち上がり、ステージへと進み出て、厳かに当選の証書を受け取りました。
しかし、その女性は立ち去ろうとはせず、係りのロータリアンに、「一言、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか」と申し出たのです。彼女の真摯な様子に、そのロータリアンは「一分だけですよ」とマイクを渡しました。すると、女性はこのように話し始めました。ロータリアンの皆さん、私はあなた方のことを知りませんし、あなた方も私のことを知らないでしょう。私は3年前に、夫とまだ幼い3人の子供たちと一緒にライプルに引っ越してきました。私たち一家は小さな部屋に暮らしていましたが、ある日外から戻った夫から突然、『アニサ、お前とはこれまでだ。ほかに女ができた』と離婚を言い渡されたのです。そして『タラー、タラー、タラー(離婚だ、離婚だ、離婚だ)』と3度繰り返し、荷物を一つにまとめて夫は出ていってしまいました」「私は途方に暮れました。翌日、大家さんから立ち退きを言い渡されました。夫が家賃を払っていなかったのです。私は子供たちを連れてさまよい歩き、駅の構内やバスターミナルで夜を過ごしました。警備員に追い出され、野良犬と一緒に道端で一夜を明かしたこともありました。
子供たちはひもじさと寒さと病気のせいで、いつも泣いてばかりいました。私はたまに公衆トイレの掃除をするくらいしか仕事がなく、食べ物や薬を買うお金もありませんでした」
「そんなとき、親切な方が現れて、シェルター・プロジェクトのことを教えてくれ、読み書きのできない私に代わって、申請書まで書いてくれました。そのおかげでここに来ることができたのです」 そこまで話すと、その女性はステージの上で突然座り込み、何千人もの前でこう言いました。