さらに私は、どんな些細なことでも、人を助けることがいずれは平和につながることに気づきました。
「平和」というのはよく耳にする言葉です。ニュースでも、日常会話でも良く聞きますし、ロータリーでも頻繁に口にする言葉ですが、私たちは、「平和」とは何なのか、どういうことなのかを、あまり考えることはありません。
一番簡単なのは、「平和」ではない状態がどのようなものかを語ることでしょう。つまり、戦争や暴力や恐れることのない状態のことです。飢餓や、弾圧や、貧困を恐れることのない状態です。
また逆に、「平和」を、それが何であるか、どういう可能性を秘めているのかで定義することもできます。そういう意味では「平和」は、発言と選択の自由であり、自己決定の権利であると定義できます。安全で安心できる未来を意味し、安定した社会での人生と家庭を意味するとも言えます。
そしてもっと抽象的に言うと、「平和」とは幸福感や心の平穏、静けさであるとも言えます。
ですから、「平和」が何を意味しているのかは、人によって違うのです。どの定義が正しいとか、間違っているとかということではなく、自分にとって「平和」が意味すること、それがまさに平和なのです。
どのような意味でこの言葉を使うにしても、ロータリーでそれを実現することができます。
ロータリーは、保健、衛生、食糧、教育などの人々の基本的なニーズに、最も必要とされている地域で応えることができます。
そして、友情、つながり、思いやりといった、私たちの心のニーズにも応えることができます。
さらに、国や民俗間の友情と寛容を推進することで、ロータリーは、最も伝統的な意味での「平和」を、つまり、互いを理解し合う後押しをしてくれるのです。
ロータリーの奉仕を通じて、私たちは、大きな問題のように見えることでも、力を合わせれば、すぐに解決できることを学びます。人を思いやることを学びます。自分と違った境遇の人々と知り合うことで、人はみな同じであると理解できます。
ロータリーの奉仕を通じて、私たちは、何かを達成しようとするなら、対立より協力を選ぶのが得策であることを知ります。ほかの人の長所と短所、両方を尊重することを理解します。そして、どんな人からも必ず得るものがあり、教えられるものがあることを学びます。