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名古屋大須RC 尾上 昇 | (株)尾上機械 代表取締役 |
(社)日本山岳会東海支部常任評議委員 |
中高年登山ブームといわれてからすでに久しい。少なくとも、私が懸命に山を攀じていた昭和30年代や40年代にはそんな言葉はかけらもなかった。山を登るという行為は、若者に与えられた特権だったのである。山登りは、アルピニズムといって先鋭的であり、躍動感に満ち劇的でなくてはならなかったからである。体力と気力の限界が求められたのである。 世は移り、高度成長が世の中の価値観というものを一変させた。アウトドアーライフなどという生活スタイルが流行り出したり、余暇の過ごし方だの、健康や、いかに老後を豊かに過ごすか、などというハウツウ物が、本屋の棚に並んだ。生活に余裕が出てきた証拠である。そんな中で中高年各位には、山がまことに余暇を過ごすのに適した存在の一つになったのである。それを世間では、価値観の多様化というが、それにはそれだけの要因が多々あるのである。 先ず第一は、何といっても健康面である。現代社会は、猫も杓子も健康志向である。山は自然である。その自然との触れ合いは、心に安らぎを与える。精神衛生上、まことによろしい。そして山を登ることは、すなわち運動である。しかもゴルフや散歩などと違い相当の運動量である。 これこそ健康という言葉の代名詞ではなかろうか。日の出から日没までたっぷり一日を気の向くまま自然の中に自分を没入させる。そして何をさておいても、お金がかからぬのがいい。 私も近場の山へ日帰りで出掛けることが良くあるが、登る前に近くのコンビニでおにぎり2個とペットボトルと副食少々を買って山に入る。大抵仲間と一緒なのでその他の経費も割り勘である。実に山登りは、他の趣味に比べて割安である。 そして、山登りの楽しいことは、その日一日を山で楽しく過ごすことだけではない。まず事前の計画の立案である。地図を見てルートを研究して、当日の天気予報にまで気を配る。あれこれ思案したり、資料を探ったりしているだけですぐ1日は暮れる。山から帰ったら今度は事後検証である。自己反省会である。 コースタイムと地形を地図に照り合わせて歩いたルートを追ってみる。そしてそれらを行動記録として残したり、文章の好きな人は紀行文などにまとめたりする。また写真撮影や絵画、植物観察やバードウォッチングなど、山は、結構文化的な側面の楽しみ方にも恵まれている。最近では、自分のホームページに山行記録を掲載することが流行っている。山登りは、1回の山行で3倍楽しめるのである。 これだけの要素が整えば、誰だって山に興味を持つであろう。 いささか私事で恐縮であるが、若い頃あれほど熱を入れていた山から長い間遠ざかっていた。人並みに結婚もし、子供も出来、仕事が忙しくなったのが原因である。 理由は、第一に命が惜しくなったのである。また仕事の都合で長期間山に入れなくなったのもある。 私のその後はお定まりのパターンである。クラブ通いとゴルフ場通いである。お陰様で酒もゴルフも人並み以上に強くなった。 そんな頃に中高年登山ブームがやって来た。時間とお金に余裕の出てきた中高年の紳士、淑女が、かつて私がしつこく山をやっていたということを聞きつけて、山へ連れて行けとうるさく迫るのである。山は若者の世界であるという私の信念と、面倒くささが重なって逃げ腰になっていた。しかし中にはどうしても断り切れないものもあって、しぶしぶご案内したりご一緒したりする機会が増えてきた。 するとどうであろう。先ず昔取った杵柄の感触が戻ってきたのである。こだわっていたアルピニズムという高邁な思想も、自分の体力と置かれた環境に合わせればそれで良いのだと勝手に解釈する始末である。アルピニズムの変節である。現実に妥協した転び伴天連である。 誰も居ない冬枯れの山道を一人で歩くことに至福の時を感じたり、岩壁や雪の山を見ると青春の猛々しい鼓動が蘇ってくる。 今は、すっかり中高年登山者の一人として山にはまってしまっているのである。まさにミイラ取りがミイラになってしまった。いささか照れるが“青春している”のである。従ってゴルフの回数も激減したし、明日は山だからといって二次会は断り、家路を急ぎ早く寝る。 さあロータリークラブの諸兄姉各位、夜な夜なの徘徊はそろそろ止めにして、そして大して上手くもないゴルフなんかも止めて「私と一緒に山へ行きませんか。」「もう一度青春しませんか。」 山登リコトハジメ。中高年登山ノススメ。である。 |
別山乗越から望む剣岳(2,996m) |
後列右側 筆者 |
山への誘い(初めて山へ行く人の為に) 講座(日本山岳会東海支部担当) 初めての人に適した山 装備について(山の装備専門店) |
※上記の2店は、山の専門家がいて、親切に指導してくれます。日本山岳会東海支部の紹介と言って下さい。 |
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