国際貢献 難しさ痛感
私とロータリー
岡崎東ロータリークラブ 2005-06年度会長 深田昭彦
岡崎東RCに入会し6年ほど経ったころ、国際奉仕委員長を拝命しました。
当時、当クラブは地区の紹介で、タイのロータリークラブと共同で同国の部落に井戸を掘る事業を行っていました。それは継続事業として毎年タイに送金し、後はすべて現地のクラブに任しており、何か事務的な感じの事業でした。この年も送金しましたが、いつまで経っても井戸が完成したという連絡がありません。いくら連絡してもなしのつぶてです。
国際奉仕の任期が終わるとき、先方に電話を入れてみました。「やあ! 日本のロータリアンか! うれしいよ! こちらはとってもいい天気だがそちらはどうだ?」実におおらかな声が帰ってきました。「井戸は出来ましたか?」と言う質問に対し、「もうすぐ、もうすぐ、出来たら写真送るから」しかし、それ以後、報告は来ませんでした。
丁度そのころ某大学院学部の教授から電話があり、中近東内陸部に遊牧民族がいて、昔から国境とは無関係に移動しながら暮らし、医療とは無縁の生活をしている。しかし、お産の時だけはある場所に3カ月間滞在する。その後旅立つともう決して戻っては来ない。そこで、その3カ月の間にその子たちになるべく多くのワクチンを打っておきたいのだが協力してもらえないかということでした。これこそ「真の国際奉仕だ!」と思い話を進めるべく会長に許可をもらいました。
当然、井戸掘りの方は自然消滅。ところが、教えてもらった連絡先に何度メールをしても応答がありません。どうしたものかと考えあぐねていたところ、タイから手紙が届きました。井戸の周りで水をかぶって喜ぶ子どもたちとタイのロータリアンが写っていました。しかし、もう手遅れで井戸掘り事業に対する援助はその年を最後に中止となってしまい、遊牧民族の方も連絡が取れずに終わってしまいました。
日本の常識では、何度連絡をしても返事もよこさないということになりますが、向こうの人たちはすべてが大らかなことをもっとよく理解していればと悔やまれます。今思い出しても胸が痛みます。