人生の扉 開く力もっている
私とロータリー
名古屋大須ロータリークラブ 新世代奉仕委員長 渡辺 観永
「おい、ロータリークラブにはいらないか?」と声をかけていただいたのは、子どもの手術が終わったばかりの6月だった。数年間、いろんな意味で家庭の中が重くもがいていた頃だったので、親しみのある、古くからの先輩の声にうれしくもあったが、これからの子どものこともあり、家族で相談してからと、電話を切った。どうやって断ろうかと考えていた私に、家族の言葉は意外だった。「いいじゃない、やってみれば! こういうときにこんな話が来るのは、きっと扉が開いたのよ」以来、想像以上に世界が広がりすぎて、今では、いささか混乱気味になってしまっているのだが、苦しさの中にも心地よさがつきまとっている。
私どものクラブでは、会員による合唱活動が盛んであるが、たまたま、こどもの誕生日に練習日が重なって、会員によるバースデーソングの合唱をいただいたときの、子どもの笑顔は忘れられない。またヒルウオーキングクラブでは、鈴鹿の山をはじめあちらこちらに、私に代わって子どもをつれていっていただいている。このようなことは数え切れない。
交換留学生による国際交流事業もクラブ創設時からの伝統だが、ありがたいことに、娘が選ばれ、オーストラリアに、昨年、派遣していただいた。現地での心温まる交流は、彼女を大きくしてくれたようだ。その派遣が終わりに近づいた、昨年3月11日、東日本大震災
が発災。彼女から、日本はどうなったのと、泣きながら電話がかかってきた。そして、ホストファミリーを中心に、なにかできないかと提案が盛んにきた。
一方、私の周辺も、震災支援活動で慌ただしくなっていた。活動の中で、クラブに助けていただいたり、他のメンバーと共同で支援に当たらせていただいた。大須演芸場に、名古屋への避難者100名を招待することもできた。これは、クラブの先輩方が、長年積み上げてこられた落語芸術協会との信頼関係があって、はじめて実現した企画だった。「おお、そりゃいいことだ、やろう! 君に協力する」くぐもった心の扉がぱっと開く瞬間である。地震復興も、自らの人生も、まだまだ途中である。誰かの人生の扉を開く力をもっているのがロータリーであると信じている。「それでこそロータリー!」といわれるようにこれからも励んでいきたい。